加賀見俊夫(20)TDS開園

天も祝福、空晴れ渡る
長く苦しい交渉、感慨無量

2001年9月4日、東京ディズニーシー(TDS)は開園の日を迎えた。「長くて曲がりくねった道だった」とつくづく思った。さまざまな感慨が浮かんでは消えた。テーマパークのコンセプトが海に決まってから開園までほぼ10年。振り返ってみると、私には10年間、公私の「私」がなかった。どうすればTDSを最高のものにできるのか。そのことがずっと頭から離れなかった。

オリエンタルランドもディズニー社も自社の利害だけを考えていたわけではない。ゲストのみなさんに喜んでいただくことを最優先に考えて果てのない、苦しい交渉を続けてきたのだ。苦労した甲斐があった。

さあ、グランドオープンだ。気持ちが高ぶる。「平常心で臨もう」と自分に言い聞かせた。いつものように朝は和食を食べて出かけた。あいにくの雨模様だった。

大きなイベントのときはいつもそうだが、パークは慌ただしかった。今日は別格のビッグイベントである。キャストたちは落ち着いて最終的な準備を進めていた。TDSは見事に仕上がっていて、美しく清潔だった。

南欧の古くて風格のある港町をイメージしたメディテレーニアンハーバー、20世紀初頭のアメリカの港町を再現したアメリカンウォーターフロントなど7つの個性豊かな港を再現したテーマポートにさまざまなアトラクションを配置してある。メーンコンセプトには「冒険とイマジネーション」を掲げた。

「東京ディズニーシーの開園を宣言いたします」。私の言葉を合図にプロメテウス火山が噴火し、花火が盛大に打ち上がった。同時にS.S.コロンビア号が汽笛を鳴らし、チャペルの鐘が一斉に鳴り響いて祝福した。

セレモニーが始まると、上空の雲が切れて、間からさあっと太陽の光が差し込んできた。雲がだんだん消えていく。まるでファンタジー映画の演出のように、陽が輝き、パークがパッと明るくなった。魔法がかかったんだと思った。

マイケル・アイズナー会長、ロイ・E・ディズニー副会長をはじめ米国ディズニー社の幹部たちも駆けつけた。第2パーク構想を巡る日米交渉が難航を重ねた際、米国側の交渉責任者で、大変なご苦労をされたフランク・ウェルズさんの姿がないのが悲しかった。彼は1994年4月、米国でヘリコプターの事故で亡くなられていた。

奇跡のような天気の回復に、アイズナー会長たちは「ウォルトが来た!」と心の中で叫んだそうだ。新しいパークの門出を祝ってディズニー社の創業者、ウォルト・ディズニーが天から祝福に降りて来たと感じたのだろう。

私には別の人が天から見守ってくれていると思えた。セレモニーの後の記者会見を終えると、ひとりで車に乗り込んだ私は高橋政知さんが眠る東京・府中市の多磨霊園に向かい、墓前にしっかりと手を合わせた。

9月4日は高橋さんの誕生日だった。偶然の導きによってこの日になったのだが、最終的には社長の私が決めた。テーマパークの仕事は感性とハートが何よりも大事なのだ。

(オリエンタルランド会長兼CEO)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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