加賀見俊夫(18)社長就任

上場を目指し陣頭指揮
経理の経験生き、念願の1部

1995年6月に社長に就いた。京成電鉄との兼務時代から数えてオリエンタルランドに来て35年の歳月が流れていた。身に余る大役に責任の重さを感じたけれど「会社をつぶしてはならない」とまず心に誓った。社員を路頭に迷わせてはいけない。

第2パークのコンセプトづくりは佳境に入ろうとしていた。就任に際して「5つのプロジェクト」を発表した。舞浜エリアを都市型リゾートに育て上げる。21世紀に向けた経営方針を掲げたのだ。

具体的には第2パークの建設、舞浜駅前開発、ホテル事業への進出、新交通システムの導入、そして株式上場。どれも後に東京ディズニーリゾートと名付けたリゾート開発の重要な構成要件だ。

まず始動させたのが株式上場。社長としての最初の大きな仕事だった。90年ごろから水面下で準備を進めていた。今後、巨額の投資が見込まれる多くのプロジェクトを進めるには借入金だけではリスクが大きすぎる。何しろ第2パークだけで投資額は3千億円を超えるとみられていた。

社員持ち株会に新株を発行。94年には取引金融機関20社、スポンサー企業23社に第三者割当増資を行った。上場戦略を陣頭指揮しながら、かつて苦労した銀行回りの日々が胸によみがえった。

当座の運転資金を借りるため、私は銀行のほか全国各地の農協や信用農業協同組合連合会を行脚した。特産品を収穫した直後が資金が潤沢だと聞き、桃が終わると岡山、みかんが終わると静岡という具合だった。沖縄にも足を延ばした。

ディズニー社と東京ディズニーランド(TDL)誘致の基本契約を結んだ後、高橋社長はパークの建設資金・調達にも率先して動いた。当時、千葉県の副知事で、後に知事になられた沼田武さんは、一緒にある銀行に行ったとき、融資を渋る銀行幹部に「東京ディズニーランドの実現には県が全責任を持ちます。ご迷惑はかけません」と言い切ってくださった。

悪戦苦闘が続いた建設資金調達の救世主は日本興業銀行だった。重厚長大産業の育成に主眼を置いていた菅谷隆介副頭取が「心の産業ですね」とテーマパークに理解を示してくださり、興銀を中核として協調融資団ができた。

資金集めに苦心惨憺してきた貧乏会社が株式上場を目指しているのだ。私は東京証券取引所の第1部に上場したいと考えていた。だがハードルが高い。テーマパークを運営する会社の上場申請は過去に例がない。

96年にまず東証第2部、98年に第1部に上場する目標を立てたが、思いがけない追い風が吹いた。ヒアリングを終えた段階で東証が上場の基準を緩和したのだ。さらに増資すれば、2部を経ずに1部に上場できるという。「経理畑で良かった」。私はそう思った。いろいろな会社の数字を吟味して意味を考える習慣が身についているのだ。それが上場実現の武器になった。

96年12月11日に東証1部に上場した。新基準の適用第1号だ。初値は8850円。売り出し価格が8050円だから投資家の評価は高く、順調な滑り出しだ。「苦しい時代をぐっと我慢してくれた京成電鉄と三井不動産に恩返しができた」。私の頭に最初に浮かんだのは、そのことだった。

(オリエンタルランド会長兼CEO)

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