加賀見俊夫(16)代案は七つの海

浦安に再び「海」を創る
日本のゲスト魅了する別世界

基本コンセプトを映画のスタジオパークにすることを前提に、1991年1月、オリエンタルランド社内に「第2パーク検討委員会」をつくり本格的な議論を始めた。

「東京ディズニーランド(TDL)に匹敵する魅力的なものにしたい。日本のゲストが満足できる、何度でも来園したくなるパークを造る」。それがメンバーの総意だ。結果、委員会が出した結論は「原点に立ち返ろう、白紙に戻し交渉をやり直そう」だった。前年から病気療養をしていた高橋政知会長が復帰したのが思い切った決断の背景だった。

91年9月、ディズニー社のフランク・ウェルズ社長を筆頭に幹部が来日し、帝国ホテルで会議を開いた。席上、高橋会長は突然の路線変更を率直に謝罪した。ディズニー社は驚き、落胆した。ウェルズ社長の表情が忘れられない。

彼はつぶやいた。「我々の努力はシシュポスの神話だったのか」。神の怒りに触れたシシュポスは罰として大きな石を山の頂上に運ぶよう命じられる。やっとの事で運び終えると石もろとも地上に突き落とされ、その苦役を何度も繰り返すのである。つまり壮大な徒労という意味だ。

第2パーク構想は一から練り直しとなった。「スタジオパークで決まりだろう」との観測が広がっていた社内には動揺が走った。追い打ちをかけるように、高橋の後任社長の森光明が心筋梗塞で急逝した。92年1月のことだ。突然の訃報に私は言葉を失った。高橋会長も衝撃を受けたが、自ら社長に復帰して陣頭指揮を執ることを決めた。

こうした混乱の中でも、ディズニー社の対応は素晴らしかった。2月にウェルズ社長が再来日して、新たな構想を提示した。「セブン・シーズ(七つの海)」。海を主役に据えたものだった。「海のテーマパーク」。高橋のほか、千葉県庁を退職して副社長に就いていた加藤康三、そして私も心を動かされた。

浦安沖の海を埋め立てて造成した土地に再び海を造るのだ。TDLとどちらに行くのか、ゲストが真剣に迷うようなパークにしたい。TDLでは体験できない別世界を創り上げるのだ。日本は海に囲まれ、ゲストに親しみやすい。「素晴らしいコンセプトになるぞ」と確信した。

ディズニー社とコンセプトやビジネス条件を詰める検討作業が始まった。92年7月、高橋社長と専務に就いていた私が渡米して臨んだ会談には、マイケル・アイズナー会長らが出席し、第2パーク構想の概要が示された。そこに今の東京ディズニーシーの根幹はすべて入っている。だが、そのアイデアに日本人の感性や日本的な文化の要素をいかに盛り込むかが大事なのだ。

そのためには、ディズニー社に日本のゲストが満足する「日本流」をより深く理解してもらうことが肝心だ。新しいパークの成功は、そこにかかっている。第2パーク構想はようやく具体的に動き始めた。アイデアをコンセプトにする議論は難航が予想された。コンセプトをパークの設計や施設に落とし込んでいくには、さらに時間と手間がかかる。「これからが本当の勝負だ」と気を引き締めた。

(オリエンタルランド会長兼CEO)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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