加賀見俊夫(14)新機軸

5周年「第2パーク」発表
運が味方 ゲスト数伸びる

「1千万人によく届いたなあ」。オリエンタルランドの社内には安堵感が広がった。

1年目には休園日が30日もあった。今と比べると、アクセスも悪かった。JR京葉線は開通しておらず、舞浜駅がない。電車で来るゲストは営団地下鉄東西線の浦安駅から専用バスに乗る。

こんな悪条件を吹き飛ばしたのは、時間とお金をかけて本物を造ったからだ。「運も味方してくれたなあ」と思う。ディズニー社との交渉が長引いて足かけ5年を費やしたことで、石油ショックの余波が消えて景気が上向いた。人々の意識が変わる潮目でもあった。政府の意識調査では、1983年を境に物の充足から心の充足に国民の欲求が変わった。安らぎや楽しさや心の満足を求めるニーズに東京ディズニーランドが応えた。

行政の支援も大きかった。70年代から千葉県は産業の活性化に精力的に取り組んでいた。成田空港、東京湾横断道路、幕張新都心計画、そして東京ディズニーランド。行政のバックアップがなければ、都心に近いフラットで広大な敷地は入手できなかった。

さあ、2年目だ。世間では「パークはそのうち住宅地に変わってしまうだろう」という冷ややかな噂が途切れなかった。あるシンクタンクは2年目の来園者は750万人、3年目は危機的なレベルになるという予測を出した。

85年春から茨城県つくば市で国際博覧会が開かれることが決まっていた。つくば博(国際科学技術博覧会)だ。3月17日から9月16日まで半年間続く長期のイベントだ。

社内には「ゲストを奪われるのでは」との危機感と「イベントの性格が違うから大丈夫」という声があった。私は「共存共栄でゲストは増えるはず」と強気の読みをしていた。つくば博を目当てに全国から来る人たちがパークに立ち寄らずに帰るわけがない。

とはいえ博覧会に対抗する魅力アップの戦略は欠かせない。つくば博の開幕8日前の3月9日、その後長年にわたり人気を博す「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード」を導入した。光と音が彩る夜のパレードだ。

色とりどりの電飾と心が浮き立つ音楽に合わせて歌い、踊るディズニーのキャラクターを乗せたフロート(台車)が次々にやって来る。近くで見ようと、明るいうちから場所取り合戦が起きた。

開園以来、初めてアトラクションも新設した。「マジック・ジャーニー」だ。日本初の70ミリ大型プロジェクターを採用、3D映像が楽しめる。結局、パークも博覧会もにぎわった。やはり共存共栄だったのである。2年目、3年目のゲストも1千万人を超えた。

87年には大型アトラクション「ビッグサンダー・マウンテン」を登場させた。以後もショーの導入や改良を進めるなど毎年のように新機軸を打ち出して、ゲストの数を順調に伸ばした。

88年4月、開園5周年を迎えて開いた記者会見で高橋社長は第2パーク構想を発表した。それが東京ディズニーシーに結実するのだが、2001年9月のグランドオープンまでの道のりは長かった。

(オリエンタルランド会長兼CEO)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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