高田賢三(26)最悪の事態

公私で翼失いぼうぜん
内紛終息かけLVMH傘下に

約10年ごとに共同経営者と衝突する運命にあるようだ。

2人目の共同経営者として迎えたフランソワ・ボーフュメは年商を急拡大させた立役者である。優秀な男だった。だが徐々に私への不遜な態度が目に余るようになってくる。

なぜ初代の共同経営者に続いて同じ軌跡をたどってしまうのか?

おそらく問題の大半は私にある。もともと他人を管理するタイプではないし、経理も大の苦手。甘く見られやすい隙があったのかもしれない。

さらに今回は服作りよりも家作りの方に時間も資金もエネルギーも費やしていた。その様子をフランソワは冷ややかに見ていたに違いない。彼がとりわけ懸念していたのが大資本による買収だった。

「デザイナーの高田賢三がいなくてもケンゾーという会社は立派に続けてゆく」

こんなことを社内で口走るようになったのは私が家作りに夢中になっていた時期である。その噂を聞いて、私もさすがにカチンと来た。以来、フランソワは私を公然と軽んじるようになってゆく。

「見てよあの態度。自分がオーナーのつもりかしら?」

一緒に会議やパーティーなどに出席すると、顔見知りの日本人女性がこっそり忠告してくれる。たしかに端から見れば、そう感じるのかもしれない。私は自分の心にさざ波が立っているのが分かった。

「人生最悪の事態」がそこに追い打ちをかける。

私生活のパートナーであるグザビエが90年に病死。91年には私の右腕として働いてきたパタンナーの近藤淳子さんが脳梗塞で倒れてしまう。

グザビエは人間として私を支えてくれた人生の伴侶だった。実は85年前後から体調を崩していたのだ。近藤さんはデザイン画を作品に仕上げてくれるアトリエの要。こうして私は両方の翼を失った。

不幸はさらに重なる。

91年に姫路の母も亡くなった。ちょうどその時、私は仲間と船を借りてコルシカ島を巡っている最中だった。兄が連絡を取ろうとしたが、外界との連絡を遮断していたので捕まらなかったらしい。

気がついたのは葬儀が終わった後。遊びに出ていて母の死に目に会えないなんて……。情けなかった。心がすさみ、自暴自棄になっていた。

フランソワとの衝突はさらに深刻さを増してくる。

身近に相談相手がいなかったことも厳しかった。兄貴分カール・ラガーフェルドやイブ・サンローランとは交流はあったがモード界ではライバル関係。経営問題など相談できない。ただグザビエを失った私を励まそうとカールは丁重な長い手紙をくれた。

(とにかくフランソワと決別して楽になりたい……)

わらにもすがる思いで株主の銀行に直訴してみたが、まったく相手にされない。そんなとき提示されたのがLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンへの売却話だった。仲介したのは旧知の経営コンサルタント。最初の共同経営者ジル・ライスを電撃解任した際に働いてくれた人物である。

「経営問題でゴタゴタしたら大手に頼るのが一番だよ」

弁護士とともに株式売却をしきりに勧めてくる。経営権を完全に手放したらどうなるのか。あまり深く考える余裕もなかった。

「フランソワの解任は?」

「先方に頼めば大丈夫」

2人が力強くうなずく。

その言葉をすっかり信用した私は全株式を売る決断をした。93年4月のことだった。

(ファッションデザイナー)

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