高田賢三(22)大失敗

映画監督はもうコリゴリ
泣かせる場で劇場から笑い

拝啓高田賢三様

映画制作に興味をお持ちだとうかがいました。一緒に面白い作品を作りませんか――

1978年暮れ。女優の左幸子さんが一通の手紙を携えてパリにやって来た。

差出人は藤井浩明さん。大映出身で市川崑監督の「おとうと」「野火」などを企画。三島由紀夫氏と「憂国」も制作したことがあるという敏腕プロデューサーだ。

映画に興味があると私が話した雑誌の記事を読んで声をかけてくれたらしい。とはいえ共同経営者ジル・ライスとはちょうど冷戦のさなか。

正直なところ映画制作どころの話ではない。もちろん映画は好きだが、自分に監督の才能があるとは思えないし、撮影の基礎知識もない。ところが藤井さんは何度もパリまで来て熱心に説得を続ける。

「アイデアだけ出してもらえば我々が仕上げますから。『スタート』と『カット』の掛け声だけでいいんです」

ついに熱意に根負け。監督兼衣装兼美術として映画制作に参加することにした。

まずは原案づくりからスタートする。頭にすぐ浮かんだのは「雨月物語」や「羅生門」が描く幽玄の世界だった。

「織物師の青年が湖で美しい姉妹に出会う。名は姉が月、妹が雪。青年は姉妹の妖艶な肢体と精神に引き込まれ、翻弄される。そして青年を愛した報いで姉妹は鳥になって青い空に羽ばたく――」

こんな物語を考えてみた。

舞台に選んだのはモロッコ。バカンスでよく旅行に出掛けていたので土地勘があったし、東西のはざまで様々な文化がミックスしている環境が面白いと思ったからだ。

80年7月。サハラ砂漠に近いザゴラに向かう。茶褐色の山脈と砂漠が見渡す限り広がっている。日中はセ氏50度。1.5リットルのエビアン250本が1日ですぐ空になった。

撮影は困難の連続だった。

俳優はすべてフランス人。日本人スタッフとの意思疎通が障害になって物事が円滑に進まない。美術班が底なし沼にズブズブはまって動けなくなるという珍事件も起きた。

参ったのは主人公が連れた馬が疲労で倒れるシーン。

思うように倒れてくれないので麻酔薬を使うことにした。だがモロッコの馬は野生の大麻を食べつけているらしくて麻酔が全然効かない。

ドサッ!ようやく倒れたのは数時間後。すでに役者は演技をやめて木陰で休息中。カメラも回っていない。ガックリきた。そんなストレスが日に日にたまり、炎熱の太陽に目が回りそうだった。

制作費4億円。音楽は人気グループ、ジャーニーを起用する力の入れよう。欧州ツアーをやめて仕事を引き受けてくれたという。藤井さんの努力のたまものである。題名は「夢・夢のあと」とした。

不安を抱えたまま迎えたパリの試写会は最悪だった。

映画館に300人ほど集まったが、パリっ子の審美眼は厳しい。肝心の泣かせたい場面では会場がクスクスと笑い出し、ちぐはぐな空気が広がっているのが分かった。

揚げ句の果てに観客が途中で次々と席を立ち始める。大失敗だった。すべて自分の責任である。藤井さんをはじめ多くの関係者にご迷惑をかける結果になってしまった。

映画制作――。その言葉を聞くたびに、蕁麻疹が出そうなくらい憂鬱で恥ずかしい気持ちになってしまうのだ。

(ファッションデザイナー)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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