高田賢三(19)交流の輪

スターたちと飲み踊る
三宅一生君、世界で戦う同志

世界的なファッションデザイナーとして知られる三宅一生君は若いころからの遊び仲間。愉快な思い出が多い。

最初に会ったのは文化服装学院時代。多摩美術大の学生だった三宅君は「装苑賞」を巡って私たち「花の9期生」と競い合う良きライバルでもあった。

「ファッションはまだ芸術として認められていない」

こんな不満を抱いていた三宅君はデザイナー志望の学生有志で勉強会を開いていた。私も出席したが、そのオピニオンリーダーが三宅君だった。「とても志が高い人だな」と陰ながら尊敬していた。

私がパリに渡航したのと同じ1965年。三宅君が少し遅れてパリ留学に来たので距離がグッと縮まり、夜の街を一緒に遊び歩く仲になる。

赤いミニクーパーに乗って自由の街アムステルダムに旅行したこともある。若い2人はディスコやバーに繰り出して思いっきり羽目を外した。懐かしい青春の一コマだ。

互いのショーに足を運び、82年には日本で大規模な合同ショーも開く。三宅君から刺激をもらってきた。世界で奮闘し続ける戦友である。

私がパリでデビューすると、様々な有名人が日本から来るようになる。当時、恋人同士だった加賀まりこさんと石坂浩二さんと食事をした。

堺正章さん、かまやつひろしさんら「ザ・スパイダース」のメンバーや内田裕也さん、作詞家の安井かずみさんらともにぎやかなパーティーでお酒やダンスを楽しんだ。

仲介役は「花の9期生」のコシノジュンコさん。日本で芸能人の衣装を幅広く手掛けていたので彼女を通じて多くのスターと友人になった。

交流の輪は大西洋を越えてニューヨークにも広がる。

ここでの触媒はフランス人の共同経営者ジル・ライス。兄がフランスのポップアートの鬼才マーシャル・ライスだったこともあり、文化・芸能関係にはとにかく顔が広い。

ジルは世界を放浪する神出鬼没の自由人。船のコックとして働き、南米の密林で暮らしていたこともある。兄の作品を売りつつカメラマンをしていたが、ニューヨークに渡りトップモデルのキャロルを口説き落として電撃結婚。その人脈のおかげで私は有名モデルを使うことができた。

スープ缶やドル紙幣をモチーフにした前衛芸術で名高いアンディ・ウォーホルとはジルの紹介で知り合った。

マンハッタンにある伝説的ディスコ「スタジオ54」。クールな紳士淑女に交じって、毛むくじゃらの半裸の男や女装した力士のような大柄な男が踊りまくっている。ゲイカルチャーが花開いていた。

銀髪のかつらを光らせ、蝶ネクタイを締めたアンディは口数が少ないが謎めいたオーラをまとい、歌手や俳優、芸術家ら人気スターたちがひしめくディスコでも“夜の帝王”として君臨していた。

アンディとはパリのディスコでもよく会うようになり、ついに親友として認められたのか、なんと私の自画像を描く約束をしてくれたのだ。

ニューヨークのアトリエで本人に写真を撮ってもらったときには興奮した。でもカメラをのぞき込みながら、なぜか悲しい微笑を浮かべていたアンディ。

その数カ月後、58歳で急逝してしまう。心臓発作だった。私は言葉を失った。あのとき、何かを伝えようとしていたのだろうか……。約束した自画像は未完成のままだ。

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Bubbles of river disappear rapidly.

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