高田賢三(14)即戦力

「感性鋭い」厚遇スカウト
羽振りよくなりバーで豪遊

夢ではなかった。

自分のデザイン画がパリのあちこちで売れ始めたのだ。

プランタンやギャラリー・ラファイエット、雑誌「ジャルダン・デモード」などでも歓迎され、何枚も買い上げてくれた。

デザイン画を見せるだけだから、言葉が流ちょうでなくても構わない。しかもどんな絵が売れるかを分析すれば最新トレンドもつかめる。私は精力的に売り込みを続けた。

「うちで働かないか?」

デザイン画がよほど気に入ったのだろうか。ワンピースの専門メーカーに出向くと、オーナー夫妻からこう誘われた。月給1千フラン(1フラン=約73円、約7万3千円)を支払い、滞在許可証や労働許可証まで取ってくれるという。

パリに来てから半年。もしも雇ってもらえるなら査証期限の心配もなくなるし、収入が保証されるので生活も安定する。渡りに船だった。

任された仕事は1日1、2点のデザイン画を描き、型紙を作ること。ミクラや三愛でやっていたことと基本は変わらない。文化服装学院で小池千枝先生に習った「立体裁断」も大いに役に立った。

日本人のケンゾーは感性が鋭く、裁断もうまい――。

こんな評判が社内ですぐに広がり、私は即戦力として一目置かれる存在になった。

さらに半年もすると、別の会社からスカウトの打診を受けるようになる。色や素材の流行予測や洋服のデザインを手掛ける情報会社「レラシオン・テキスチル」の女性社長だった。提示された月給は1600フラン。広々としたアパートも手配してくれるという。

悪い話ではない。むしろ順調すぎて怖いくらいだった。

アパートは客室、居間、寝室の3部屋に風呂、トイレ、電話、テレビ、バルコニーまで付いた豪華な間取り。1人ではとても使い切れないほど広かった。パリに来てまだ1年。高級アパートに住めるような身分になれたのだ。

羽振りも良くなった。

ミニクーパーを買い、昼はオペラ座に近い会社で働き、夜はシャンゼリゼやサンジェルマン・デプレのクラブやバーで羽目を外す。やがて服は「レノマ」でそろえ、映画で見て憧れた「ルイヴィトン」のスーツケースやバッグも買い集めるようになった。

パリは不思議な街だ。

保守的なようでいて異邦人を受け入れてくる。外部の才能や血を柔軟に取り込み、自らのパワーに変えてしまう。自由な空気が私を育ててくれたのだ。だから人種差別を受けた記憶もあまりない。

ただ一度だけ絶対に許せなかった体験がある。ニットの仕事でベルギーに出張したときのこと。私は1等車の切符を買い、着席して列車が出るのを静かに待っていた。

するとフランス人の中年男性が私につかつかと近寄り、大声でわめき始めたのだ。

「なぜアジア人が1等席にいるんだ。すぐ出て行け」

吐き捨てるように言い、私を車両から追い出そうとする。声をあまり荒らげたことがない私もこのときばかりは激高した。

「ふざけるな!私はちゃんと切符を持っているんだ。君こそ切符があるのか」

殴りかかりそうな勢いでまくし立てると相手はひるんで列車を出て行った。人には守るべき絶対領域がある。それを汚されたら誰であろうと徹底的に戦うだけだ――。

私は自らの闘争本能の意外な強さに初めて気がついた。

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Bubbles of river disappear rapidly.

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