高田賢三(8)デザイン科

「花の9期生」競い合う
ジュンコさんに続き装苑賞

文化服装学院に入学して2年目。デザイン科に進むとようやく明るい未来が開ける。

暗いトンネルを抜け出す転機となったのは学校で出会った恩師やライバルだった。

デザイン科を創設した小池千枝先生はパリでイブ・サンローランやカール・ラガーフェルドらと机を並べて学んだ経験もあるという新進気鋭の指導者。この授業が最高に面白かった。

「皆さん。外に出て好きな小石を拾ってきなさい!」

授業の冒頭。いきなりこう命じられて我々は面食らった。生徒たちが外で拾ってきた小石を見ると形や大きさが様々に異なっている。それを布でくるんで開くと複雑なシワや折り返しが自然にできていた。これこそがダーツやドレープの意味なのだ。

(そうか。なるほど……)

目からウロコが落ちる思いだった。当時、日本の服作りで主流だったのは2次元の展開図を基礎にした「平面裁断」。小池先生はそこにパリで学んだ「立体裁断」を持ち込んだのだ。人台に布を巻き付けて断てば身体の凹凸や曲線になじんだ服が作れる。

師範科ではちんぷんかんぷんだった製図やパターン、裁断の神髄も授業で手に取るように理解できた。「服を彫刻的にとらえる」という発想を先生からたたき込まれた。

デザイン科には才気ある個性的な人材が集まってきた。

師範科で一緒だった松田光弘君、金子功君に加えて、大阪から来たコシノジュンコさんも同じクラスに入った。多士済々のこの期は後に「花の9期生」と呼ばれ、テレビドラマのモデルにもなる。

モットーは「よく学び、よく遊べ」。ジャズ喫茶に入り浸っては文化談議に花を咲かせ、繁華街のバーで朝まで酒を飲む。芝居や歌舞伎を鑑賞し、私は三島由紀夫の小説「禁色」なども読みふけった。

映画もよく見た。邦画やヌーベルバーグのフランス映画についても熱く語り合った。どうしても撮影現場を体験したくて私だけエキストラで出演したことがある。松本清張原作の「黒い樹海」というサスペンス映画だった。

授業にもいよいよ身が入り、実力もグングンと伸びる。

早大卒の松田君はみんなのまとめ役。金子君は絵の名手で映画や芝居、歌舞伎などにも精通した文芸肌。抜群に人脈が広いジュンコさんは芸能人らが出入りする「六本木野獣会」のメンバーだった。

実は口には出さないが僕らには共通の目標があった。

装苑賞――。56年に創設されたデザイナー登竜門で万単位の応募作から半期ごとに大賞が選ばれる。すでに同期で激しく火花を散らしていたのだ。私は師範科の後半からひそかに応募し始めていた。ほかのメンバーもそうだった。

大賞争いで先行したのはジュンコさん。デザイン科2年目の60年上期に真っ先に受賞し「史上最年少で受賞」などと派手に騒がれていた。惜しくも私と松田君は佳作。「おめでとう」と仲間の快挙を祝福したが、悔しさが交じった複雑な心境だった。

(負けるものか!)

捲土重来。私も同年の下期に念願の大賞を獲得する。作ったのは一つボタンの白いツーピース。内側に鮮やかな青いブラウスとベルトを重ねた自信作である。松田君はまたもや佳作。

授賞式。大賞のトロフィーを受け取ると無上の喜びがこみあげてきた。私を取り巻く環境はさらに激変する。

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Bubbles of river disappear rapidly.

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