大村智(28)女子美大理事長

創立100周年事業に奮闘
記念彫刻・版画集や基金残す

私の美術好きはゴルフ仲間もよく知っていた。その中に女子美術大学の職員だった鳴川洋一さんがいて、理事をしてほしいと打診された。1993年ごろのことだ。女子美大については1900年に設立が認可された歴史ある学校ということ以外、よく知らなかった。忙しいので迷ったが、遠縁の同大の関係者からも要請され引き受けることにした。

創立100周年記念事業の準備が始まると、今度は理事長を頼まれた。実は当時の理事長と教授会の衝突に嫌気がしていったん理事を降りたのだが、戻ってきてほしいといわれて97年に理事長に就任した。頼まれると「しようがないなあ」と受けてしまうのが私の悪いところだ。

記念事業では相模原キャンパスに美術館をつくった。10億円を目標に募金活動をし、卒業生や企業から9億円が集まった。10号館校舎の1階に広い展示スペースを設け、中庭を「ヴァンジ広場」と名付けた。現代彫刻の巨匠で客員教授(現名誉博士)のジュリアーノ・ヴァンジ先生の作品を置きたかったからだ。

ヴァンジ先生の作品はオリジナル1体のみしか作らないので、普通なら手が出ないほど高価だ。それを、小さいものでいいからと何とか引き受けて頂き、2014年に高さ165センチメートルの「金髪の娘」が完成した。女子美大生をイメージして作って下さったという。

女子美大は優秀な卒業生を多数輩出し、文化勲章受章者や文化功労者も多い。100周年記念事業では卒業生10人から作品を頂き、版画集を作ろうと考えた。さっそく何人かに相談すると、皆が「無理だ」という。いくつかの派があったし、女子美大と疎遠になっている先生も多かったからだ。でも、私は無理だと言われるとやりたくなるたちなので、やると決めた。

先輩方から片岡球子先生、堀文子先生のお二人が「うん」と言わない限り版画集はできないと助言を受けた。女子美大で教授もした片岡先生は折り合いが悪くなり他校に移っていたが、佐野ぬい先生を通して承諾頂いた。初めてお目にかかったのは00年になってからで、「富士山の絵を描き続けているが、一度も富士山にほめられたことがない」「いつかほめられるようこれからも描いていきたい」と、当時95歳で語っていたのが印象に残っている。

堀先生は最初「関係ない」とおっしゃるので、知人に飲み会をセットしてもらって口説いた。意気投合してすっかり親しくなり、温泉や写生旅行にお供するまでになった。「追い詰められた人間でないと自分の領域を切り開くことができない」などの言葉に共感し、メモ帳に記してある。立派な版画集が完成し、題字「徳の華」は私が墨書させて頂いた。

卒業生との連携を深め、同窓会長を理事に迎えた。99年には同窓生などのための基金もつくった。名称は「大村智基金」が検討されたが、私は家内の内助の功への感謝を込めて「文子」の名を入れるよう提案した。こうして「100周年記念大村文子基金」ができ、パリに研究員として滞在できる「女子美パリ賞」や「制作・研究奨励賞」などを出している。理事長は03年に退いたが、創立110周年を前にまた要請を受けて07年に再度就任し、15年まで続けた後、名誉理事長となった。

(北里大学特別栄誉教授)

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