大村智(14)おもてなし

刺し身の会、同僚に好評

ティシュラー夫妻、親も同然

 

ウエスレーヤン大学にいた間は、米国流の生活も楽しんだ。教職員用宿舎は日本の住宅よりも広く立派だった。何十人もの研究仲間を集めて、よく刺し身パーティーをした。

ファイザーのウォルター・セルマーさんは大きなボートを所有していた。みんなで乗り込み、会社の研究拠点にも近かったグロトンの港から海に出て釣りを楽しんだ。

付近を一周するだけでブリがどんどん釣れた。船の上ですぐにさばいて刺し身にし、持ち帰ってパーティーで出すとみんな喜んで食べた。研究者どうし招いたり招かれたりしたが、なかでも刺し身パーティーは人気があり学生も集まってきた。

招かれた人たちが食事の準備を手伝っているのに私はいつも椅子にふんぞり返っていたので、みんなに「どういうことだ」と聞かれた。妻の文子は「日本のだんなはあれが習慣だから放っておけばいい」と答えていた。「男子厨房に入らず」を実践していただけなのだが、仕方なく後半は少し手伝うようになった。

米国で経験したホームパーティーは、帰国してからも頻繁に開いた。仕出屋なんてない頃だから、文子が2日前からあれこれ料理を準備した。海外から講演などのために招いた研究者が、小さな我が家の部屋に大勢集まった。

呼んだ人たちには、各国を代表するような研究者になった人が多い。パーティーは人間関係をつくるのに大いに役立った。私が今日あるのは、文子の貢献が大きい。

ウエスレーヤン大に私を迎えてくれたティシュラー先生とは、家族ぐるみの付き合いを続けた。奥さんのベティさんは文子を自分の娘のようにかわいがってくれ、しょっちゅう自宅に招かれた。

ずっと後になるが、文子が亡くなった時にベティさんから手紙を頂いた。「彼女は私がずっとほしかったけれども授からなかった娘であり、私は彼女の母親代わりの米国人だった」と記してあった。

優れた人は良い趣味を持っていることも学んだ。ベティさんはピアノが大好きで、大きな応接室にグランドピアノが2台あった。ハーバード大学のコンラッド・ブロック先生もピアノが趣味で、ティシュラー先生の家に来るとベティさんと連弾したそうだ。ティシュラー先生はランを育てる趣味があった。大きな温室を大学に寄付したと聞く。

ベティさんは数年前、104歳で天寿を全うされた。大学で開かれた100歳のお祝いの会には私も駆けつけた。「サトシ、研究はどうなの」と元気に話しかけてきて、とてもしっかりしていたのを思い出す。

ティシュラー先生のお子さんは私が米国にいたときに既に成人しており、一人が医者、もう一人はエンジニアをしていた。私が昨年ノーベル賞を頂くと2人ともお祝いの手紙をくれた。あんなに英語が下手な人がよく受賞したとびっくりしたのではないだろうか。

米国の生活で、もう一つ思い出深いのは週末のドライブだ。古美術商に立ち寄ると「日本人か」と聞かれ、そうだと答えると日本画に書いてある文字を読んでくれと頼まれた。

3、4回通って全部ローマ字に直すと、「好きな物を持っていっていい」という。本物とわかる喜多川歌麿の作品があったので、偉いこっちゃと思いながらも頂いた。

(北里大学特別栄誉教授)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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