大村智(6)スキー修業

「工夫繰り返し勝つ」体得

理科・体育の教員免許を取得

 

山梨大学に1954年に入ってからも、スキーばかりしていた。積雪が少ない山梨県のレベルは全国から見れば低く、だんだんとそれに飽きたらなくなってきた。

韮崎スキークラブの山寺巌氏に一流の指導を受けたいと頼み、大学1年の冬から本場の新潟県妙高高原のスキー合宿に参加した。ここで、山寺氏の師でもある横山隆策先生に指導してもらった。オリンピックに出るような名選手を多く育て、「横山天皇」「伝説のスキーヤー」などと呼ばれていた人だ。

スキーをしていると寒いので鼻水が出る。手でぬぐうと「鼻水をふくその手を持っていく力があるなら、なぜもう一歩前へ出ないか」と怒られた。随分としごかれたが、どんどんうまくなるのが自分でもわかった。

ノーベル賞の受賞後に、横山先生の息子の久雄さんと何十年ぶりかで食事をして旧交を温めることができた。久雄さん自身、スキーの大学対抗で優勝しているし、2人の娘さんもオリンピックに出ている。大変なスキー一家だ。

山梨県下では高校から大学にかけて、私はクロスカントリーで毎年のように優勝した。スキーは力さえあればよいというわけではなく、頭も使わないといけない。たとえばワックス塗り。自分で山の天候を考えながら判断する。

コースには日当たりで雪がべたべたするところ、日陰で粉雪になっているところなどいろいろある。勝負どころで最適な滑りができるよう、それぞれの場所に合ったワックスをうまく塗り、よい成績を出した。

横山先生については、こんな話を聞いたことがある。新潟県のチームは長距離で、常に優勝している北海道のチームになかなか、かなわなかった。北海道に行っていろいろ教えてもらうのだが、やはり勝てなかったという。

それで、先生はあるとき「北海道のやり方をまねするのはもうやめよう」と言って、独自の練習法に切り替えた。自分たちで話し合い、工夫することを繰り返すうちに勝てるようになった。

これは、研究にも通じることだ。まず、若い連中の力をつけさせるには、レベルの高い人たちのなかに入れないと駄目だ。そして、絶対にまねごとだけではいけない。独自の方法を取り入れて初めて相手を超えられる。

だから私の研究室では私のコピー人間はつくらない。研究環境とある程度のお金を用意して、あとは自分たちでやってもらうことにしている。

私は大学で、理科のほかに体育の教員免許もとっていた。それにはこんな経緯がある。大学の体育の科目にスキーがあったが教えられる人がおらず、頼まれてスキーの実習で私が教えた。体育の教授と一緒に飯を食っている時に「体育の免許もとったらどうだ」と言われた。

大学に戻って履修科目を見せると「あと4科目だけとればよい」というので、その通りにしたら免許をとれた。スキーの多くの大会で優勝するだけでなく、結果的に大学の単位も同級生のなかでは一番多くとったのではないかと思う。

ところが景気のせいで、山梨県ではその年に限って理科の先生の採用は1人もなかった。体育の先生の採用が1つありそうだと聞いたが、気が向かなかった。

(北里大学特別栄誉教授)

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