江副浩正「マネージャーに贈る20章」

<第1章>

マネジメントの才能は、幸いにも音楽や絵画とは違って、生まれながらのものではない。経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。

その証拠に、10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない。

<第2章>

マネージャーに要求される仕事には、際限がない。より高い効果を上げるマネージャーは、要求されている様々な仕事のうち、一番大事なことから手がける。仕事を受付順に勧めるような人は、優れたマネージャーとは言えない。

目の前にある仕事の中で、一番大切なものは何かをいつも考えていなければならない。

<第3章>

社内にしか人間関係を持たないマネージャーがいる。こういう人が会社を動かそうとするようでは、会社はいずれ滅んでゆく。

会社もまた、社会の一組織体であるから、社外の人々と良い関係を保つことが不可欠である。

<第4章>

“上の方で決まったこと”をそのままメンバーに事務的に伝えるマネージャーは、メンバーからの信頼と支持は得られない。経営の方針や義務のルールは、マネージャー自身がまず自らのものとしなければならない。そのためには、疑問などがあれば十分解決しておくこと。

その上で、自らの方針、考え方を交えて、メンバーに向かうことが大切である。

<第5章>

メンバーをよく理解しようとすることもマネージャーにとって大切なことである。それよりもっと大切なことは、マネージャー自身の方針、考え方、人格までもメンバーに理解させることである。マネージャーとメンバーとのよい人間関係は、深い相互理解から生まれる。

<第6章>

優れたマネージャーは、人に協力を求める時、”彼との個人的な親しさ”によってではなく、”仕事を良いものにするためには誰に頼むのがベストであるか”という観点からこれを行う。

誰とでも一緒に仕事ができるようにならなければならない。

<第7章>

マネジメントに携わる人は、2つ以上のことを同時に進められる人でなければならない。ひとつの仕事に熱中している時は、他の仕事に手がつかない、といったタイプの人はスペシャリスト向きで、マネージャーには向かない。

<第8章>

「1,000人分のパーティの招待者宛名を書き上げ、発送するのに、ひとりでやれば10日は必要。10人でやれば何日かかるか?」算数では答えは1日だが、経営の現場では10人でやっても10日かかることもある。

人が増える時には、手順を変えるなり、仕事のしくみを変えてゆく必要がある。

<第9章>

会議の目的がわからなくて、会議の能率を下げる人がいる。この会議を何のために開いているのか、自分の役割は何か、どのように勧めれば会議が効率的になるか、マネージャーはこれらのことをよく把握する必要がある。

会議の効率を上げる人と、下げる人では、マネジメントにおいて大きな開きがある。

<第10章>

マネージャーの任務は高い業績を上げることにある。そのために、メンバーを動かす権限が与えられている。仕事を離れたところでマネージャーが権限を行使することは許されない。

<第11章>

経営者が数字に弱ければ、会社は潰れる。仕事への熱意は十分あっても、数字に弱い人は

優れたマネージャーとは言えない。

<第12章>

マネージャーには、コンピュータという有能な部下を使いこなす能力が必要である。コンピュータを駆使して仕事を効率的にすすめるためには、コンピュータに関する知識・技能を自らのものとし、同時に日常的に自分自身の手で動かしていなければならない。

コンピュータを使えない人は、いずれマネジメントの一員にとどまれなくなる。

<第13章>

与えられた時間は、誰にとっても同じだ。人が大きな成果をあげるか否かは、その人がいかに時間を有効に使うかにかかっている。

経営者は、効果的な時間の遣い方を知っていなければならない。

<第14章>

「政治家には嘘が許されるが、経営者には嘘は許されない」とは水野重雄氏の言葉である。経済活動はお互いの信頼関係が基盤となっている。1度不渡りを出した経営者が再起することはまれである。

言葉や数字に真実味が感じられないマネージャーは、周囲から信頼を得られない。

<第15章>

自分のメンバーを管理するにはさして苦労はしないが、上長にはどのように対処すればよいのか、と苦労する管理者が多い。しかし、この問題は自ら積極的に働きかけることで解決して欲しい。相互理解を深めること。

そして上長の強みはそれを活かし、弱みはカバーしてゆくことによって仕事はなめらかにすすんでゆく。

<第16章>

“忙しすぎて考えるための時間がない”、”マネージャーはもっと思索に時間を割くべきである”と主張する人がいる。しかし、仕事と思索を分けて考えることは、あまり意味がない。

なぜなら、仕事を前に進めるアイディアや活力の源泉は仕事そのものの中にあるからである。

<第17章>

業績と成長は不可分であって、高い業績なくしてマネージャーの成長はありえない。

マネージャー自身の高いモチベーションが業績を生み、成長を実現するのである。

<第18章>

“もっと期限が先ならば”、”もっと人がいれば”、”もっと予算がおおければ・・・いい仕事ができるのに”と嘆くマネージャーもいる。マネジメントとは、限られたヒト・モノ・カネ・そしてタイムをやりくりし、それぞれの最大活用を図ることである。

経営の成果は常に、それに投入された経営資源(ヒト・モノ・カネ・タイムなど)の量との関係で計らねばならない。

<第19章>

我社は永遠の発展を願っているが、それは後継者たちの力のいかんにかかっている。後継者の育成も、マネージャーの大切な仕事である。自分が脅威を感じるほどの部下を持つマネージャーは幸せである。

<第20章>

仕事の上では、”したいこと”、”できること”、”なすべきこと”の3つのうち、どれを優先させて行動すべきであろうか。”できること”から手をつけるのは堅実なやり方ではあるが、それのみでは大きな発展ははかれない。

“したいこと”ばかりでも問題だ。将来のため、メンバーに今何をすべきかを見出させ、それが例え苦手なこと、難しいことであっても挑戦的に取り組んでゆく風土をつくることがマネージャーには求められている。

壺は満杯か

ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

タニン・チャラワノン(13)専門家集団へ

家業から企業に脱皮

身内説得、経営から退かせる

 

会社はどんどん大きくなり続けている。家業として発展してきたCP(チャロン・ポカパン)グループを企業組織に変えるべき時期がきたと私は感じた。外部の専門家を招請し、家族に代わって経営を担わせようとした。素人経営ではいずれ事業についていけなくなるからだ。

家族の対立から事業を守る意味もあった。父の兄弟も我々の兄弟も力を合わせて事業を大きくしたが、それでも父は家族間の不和を懸念していた。父は息子たちが結婚すると家から独立させ、同じ家に住まわせなかった。

「どんなに仲の良い兄弟でも結婚して嫁が家に入ってくると、妻や子供のことでいさかいが生じる」。これが父の考え方だった。

華人華僑の企業では2代目、3代目になっても家族が直接経営に関与するが、家族の対立から事業が傾くことは少なくない。私は家族を経営から遠ざける決心をした。姉たちが事業に関わっていたが、「お金は今よりも払うから、もっと人生を楽しんでほしい」と話して事業から身を引いてもらった。

少しやっかいだったのは兄嫁だった。長兄が飼料事業を興してから長兄の妻、兄嫁がお金の出し入れを担当していた。兄嫁は人柄も良く、夫の会社に携わり続けたいという気持ちが強かった。兄嫁に財務から手を引かせるのは忍びなかったが、会社のためと心を鬼にした。

「お姉さんがどれだけ自分を犠牲にして働いても、お姉さんは会長の奥さんなのだから、他人から不信を持たれてしまうのです」。私は次々に家族を説得して経営から退出させ、新規に採用した若い専門家らに替えていった。

さらに一族の子女がCPの中核事業(農業・食品)に入ることを禁じた。もちろん私の息子も含めてだ。経営チームがしっかりしていれば事業はうまく回るものだ。そこに経営者の息子が入ってきて事業承継に成功しても、誰も息子の功績とは思わない。

息子の入る以前から、既存の経営チームによって事業が成り立っているからだ。逆に息子が入ってくれば、経営チームの優秀なメンバーが前途が失われることを危惧して辞めていくかもしれない。幹部から幹部へと承継される経営モデルすら崩れてしまう。

私は経済学を勉強したことはないが、資本と経営の分離が必要だとこれまた実践から学んだ。経営者は専門知識を生かして会社に利益をもたらし、株主がその利益を享受する。株主に経営の手伝いをさせてはならない。混乱し、非効率になるだけだ。

家族には株主になってもらい、私は経営に専念した。株主として厚遇したので不満は出なかった。私が株式を独り占めするようなこともしなかった。経営者として誰よりも働いたが、給与やボーナスをもらえればそれでよかった。兄弟の株を奪ってしまえば兄たちから嫌われ、社会からも相手にされなくなっていただろう。

1969年、私が30歳になったとき、長兄は私に総裁になるよう命じた。CPは家業から専門家が経営する企業に生まれ変わり、私への事業承継も完成した。兄弟はその後も仲良しだ。いま会っても友達のように話し合える。

(CPグループ会長)

ウォークマンの父、大曽根幸三が鳴らす警鐘(下)

オレの愛したソニー

「立ち上がれ!ソニーの中の“不良社員”」

 

大曽根さんはソニーの副社長まで務めました。経営の一線から退く前に、ソニーの凋落を止められたかもしれない、と思うことはありませんか。

大曽根氏(以下、大曽根):あと出しジャンケンみたいなことはしたくないからな。だけどあえて、今そういうことが言えるとしたら一つ。

一度は売却する方針を出して、後に撤回したバッテリー事業に関することかな。具体的には、ソニーが今も手掛けているリチウムイオン電池事業。こういう、新興国勢がキャッチアップできない分野の事業を大事にすべきだと、もっと強く言っておくべきだったと思うね。

リチウムイオン電池は、ソニーはかなり昔から手掛けていてね。大賀(典雄、元ソニー社長)さんと私で、まだ塙(義一、日産自動車の社長や会長などを歴任)さんが専務くらいだった頃の日産自動車に、ソニー製のクルマ用リチウムイオン電池を運んだんだ。

追浜(神奈川県)にある日産の工場で、試作している電気自動車に載せるっていうんで、大賀さんとヘリコプターで電池をそこまで運んだ。今でこそ電気自動車や燃料電池自動車とか、エコなクルマが話題になっているけれど、これは20年以上も前の話だよ。実はそんな前から、電気自動車の研究が粛々となされていたんだ。

 

「出井さんが軽視した、将来有望のバッテリー事業」

大曽根:ヘリで追浜の工場に到着したら、そこにテストコースもあってさ。試作された電気自動車が走っているわけ。エンジンの音が全くしなくて、すごく静かなのに、スーっていう感じで結構なスピードが出ていた。

大賀さんは乗り物が大好きだから、自分でも電気自動車を運転させてもらって、「これはすごいな」なんて言って、はしゃいでいたよ。

何が言いたいかというと、当時からソニーには、電気自動車用のバッテリーを作れる最先端の技術があったということなんだ。けれど出井(伸之、ソニーの社長や会長兼CEOなどを歴任)さんがトップになってから、「自動車会社の下請けなんてダメだ」と言い出して有望だった電気自動車向けのバッテリー開発を重視しなくなったんだ。

電気自動車におけるバッテリーは、もうクルマの性能を大きく左右する中核技術だからね。電気自動車の時代が到来したら、それは下請けかどうかとか、そんなことにこだわっている場合ではないような重要な技術なんだよ。

当時も当然、ガソリン車が主流だったけれど、将来的には電気自動車が徐々に出てくるし、省エネが意識されれば電気自動車が主流になるかもしれない。そこで必要となる中核技術はモーターを回すためのバッテリーだよ。だから下請けじゃなくて、電気自動車の中核技術を作るってことなんだ。これがないと電気自動車が動かないんだからさ。そういうことが、出井さんには全く見えなかったんだろね。

一方で、このトレンドを見抜いたパナソニックは米テスラモーターズと組んで、電気自動車用のバッテリー事業を大規模にやり始めた。技術を持っていたのに、なんでソニーがこれをやってないのか、忸怩たる思いがあるよ。

あの時、追浜の工場に大賀さんと一緒にバッテリーを運んだ当事者であるだけに、もったいないったらありゃしない。日産みたいな大手の自動車メーカーから、ソニーにお声がかかっていたんだから。今ではそんな状況、到底考えられないでしょ。

 

「電池が火を噴いても挑戦しろ」

既に当時のソニーには、電気自動車用のバッテリー開発で、実用化のメドがあったということなのですか。

大曽根:もちろん、まだ本格的な実用化なんて全く見えていない時期だよ。だから、電池から煙が出るとかの不具合もあったよ。なにせ、今から20年以上も前の話だからね(笑)。

でも大賀さんは言っていたの。「教科書がないんだから仕方がない。ソニーが新しい教科書を作っているんだから、何が起こるかも、何をしたら失敗するかも分からないよ。だから細心の注意を払いつつ、いろいろ挑戦しようよ」ってね。

「煙が出るだけじゃなく、電池が火を噴いても、ちゃんと保険をかけてあるから安心して、どんどん挑戦をしろ」と発破をかけられてたよ。経営トップからそう言われたら、現場は盛り上がるよね。

そのくらい将来性のあるバッテリー事業なのに、この10年で有望なエンジニアがどんどん辞めてしまった。

 

「リストラを繰り返してソニーは弱り切った」

大曽根:10年以上も続いたリストラに次ぐリストラで、ソニーを去った人は約7~8万人。開発や設計、技術、営業など、幅広い職種で、優秀な人材がいなくなった。リストラすると、どうしても能力のある人から先にやめていくのが致命的だよね。

一時的に人件費が下がってコスト削減できるから業績は回復するけれど、長続きはしないよ。将来の会社の成長を担うべき技術を持っている人がいなくなって、もう二度と帰ってこないんだから。リストラを繰り返してソニーは本当に弱ってきてしまった。そういうのを、ソニーOBは心配しているんだ。

例としてあげたリチウムイオン電池だけでなくて、森園(正彦、ソニー副社長などを歴任)さんなどが技術の統括をやっていた頃はいろんな研究開発をしていた。大賀さんや盛田正明(ソニー創業者である盛田昭夫氏の実弟で、ソニー副社長などを歴任)さんといった、技術に理解ある人たちも先進的な研究開発を進めさせていた。しかし結局、その後に経営体制が変わると、コスト削減を理由にやめちゃった。早くから着手していた様々な分野の研究をね。

あまり知られてないけど、「クロマトロン」という技術を地道に研究開発してきたから、後のヒット商品となった「トリニトロン」という技術を使ったテレビの開発につながっていった。これは大賀さんが腰を据えて研究開発を続けさせていたんだよ。新しいことを生み出すっていうのは。そういうことなんだよ。

 

ソニーの救世主になり得た化学部門

最先端の技術を持ちながら、選択と集中による事業リストラで消えていったのは、「AIBO」のようなAI(人工知能)や、ロボット技術だけではないんですね。

大曽根:今、しきりに思うのは、韓国勢や中国勢が台頭しても、すぐ真似をされない分野は、ソニーグループにちゃんとあったってことなんだ。そういう意味では、ソニーがかつて持っていた化学部門が極めて重要だった。ソニーケミカル(現デクセリアルズ、2012年にソニーが投資ファンドなどに売却した)っていう会社ね。

例えば半導体や液晶が分かりやすいけれど、物理学を基本にした技術や製品は、装置があれば作れてしまう。技術もノウハウも、今は日本製の製造装置に入っているからね。

デジタル化の時代になって、韓国勢や中国勢、台湾勢が、その製造装置を買うことができれば、日本企業と同じ品質やスペックの製品が作れるようになってしまった。半導体は物理学の世界で、原理原則をきちんとやると、後は論理的に同じ結果が出る世界なんだ。だから同じ装置を使えば、同じ品質のものが作れる。

結局、半導体や液晶パネルは、中国勢や韓国勢に急速に追いつかれて、抜かれてしまった。こうなると技術力うんぬんではなく、いかに質の高い設備を大量に買うことができるかという投資余力の有無で勝負がつく。パワーゲームになってしまうんだ。日本勢には分が悪いよね。そういう戦い方に慣れてないから。

ソニーがトランジスタラジオで一世を風靡したのは、世界のどこを探してもトランジスタの製造装置なんてなかった時代だからだよ。ソニーは自分で独自の製造装置を作って、トランジスタラジオを作った。だから競争力のある製品だったんだ。

その製造装置は外販していなかったから、ソニーのトランジスタラジオは差別化できた。今のデジタル家電やデジタル部品は、生産設備メーカーが、完成品メーカーとは別になっていて、同じ生産設備を入れれば同じ品質の製品を作れてしまう。これが物理を基礎にした分野ね。

 

「ストリンガー時代の経営陣はあまりに技術音痴だった」

大曽根:だけど、物理の世界と違って、化学の分野は全く異なる勝負ができるんだ。化学分野では、触媒を一つ変えるだけで、従来と大きく異なる素材や製品ができるからさ。欧米企業は家電や半導体などのコモディティー分野でモノ作りが空洞化しても、独BASFや米3M、米デュポンといった化学分野の企業は、今もちゃんと生き残っているでしょ。東レとか、日本勢も化学分野は元気だよね。あれは化学分野が、簡単に新興企業に真似されにくいことの証左だよ。

だから、ソニーケミカルが手掛けていた、電機製品を作るための接着剤や粘着テープといった部材は、新興国勢がキャッチアップできない化学分野の事業として重要だったんだ。今もソニーケミカルが作っていた部材の世界シェアはものすごく高いよ。

それなのに、足元の経営が厳しいからと、短期的な視野しか持たないストリンガー(ハワード・ストリンガー、ソニー会長兼CEOなど経営トップを歴任)体制時代に、経営陣が「高く売れるうちに売っちゃえ」と売却しちゃった。これは当時のソニー経営陣が、あまりに技術音痴で、先を読めなさ過ぎることを証明していると思うね。こんな大事な技術を持つ会社を、「ノンコア事業」と判断して、手放しちゃったんだから。

 

化学、メカ…優位な技術を捨てる経営陣

だからこそ、ソニーのバッテリー事業は重要だと主張しているんですね。

大曽根:まだソニーに残っているバッテリー事業も化学分野だからね。差別化しやすい事業なんだから、その重要性にちゃんと気が付いて大事に育ててほしい。

平井(一夫、現ソニー社長兼CEO)さんが経営トップになった当初は、ソニーの宝のような事業であるバッテリー部門を売却する方針を出してたのを覚えているかな。結局、1年くらいしたら売却する方針を撤回したんだけど今度は、「バッテリーは中核事業だ」とか言い始めて、方針が二転三転している。

この話を聞いて、「なんで、バッテリー事業の重要性が分からないのか」と残念に思ったよ。売却する方針が一度でも出たら、この分野で優秀な人材はすぐに会社を辞めて次に行くからね。

「売却する」と経営陣が言った時点で、キーパーソンの技術者がいなくなったはずだよ。その後で方針転換をして、「やっぱり重要な事業です」とか言い出してももう遅い。それをこの数年でやっちゃったんだ。

かつてソニーには化学分野のソニーケミカルがあり、メカの分野であるロボット事業もあった。それなのに自分で優位な状況を捨てちゃった。日本のお家芸を生かして伸ばせる化学とメカの事業があったのに、売却したり、撤退したりでね。

 

Tシャツ、ジーパンで取締役会に参加?

大曽根:大賀さんが社長を退いた後、もう四半世紀近く、ソニーは長く低迷している。2015年度は3年ぶりの最終黒字を達成したけれど、これをいつまで続けられるのか、今の経営陣も取締役も見通せてないと思うよ。一時的に業績は良くなっているけれど、全く安心できる状況にはないと思う。

ソニーはエレキ事業に注力し続けていてもよかったと思えるのに、映画や音楽というエンタメ事業や、生命保険などの金融事業といった、モノ作りから離れた分野に多角化していきました。これはなぜでしょうか。

大曽根:映画や音楽、金融と、業容を広げていったのは盛田(昭夫、ソニー創業者)さんのアイデアだね。当時も今も、メーカーとしては異例の多角化だったと思う。

金融分野に進出したのは、盛田さんが「銀行に頭を下げてばかりいられないから、いつかはソニーグループで金融事業を持ちたい」と、しきりに言っていたことが始まりだよ。井深(大、ソニー創業者)さんは生粋の技術者だからやりたいことは一つ。ハードウエアの分野で次々と新しいモノを作りたかったんだと思う。

盛田さんは井深さんとは違って興味の範囲が広かった。だから、映画や音楽といったエンタメ分野や金融分野といった、経営の多角化を進めたんだろうね。

音楽会社や映画会社を買収した後、役員会などの会議がソニーの本社で開かれるようになったわけ。そうすると米国から、米ソニー・ミュージックエンタテインメントや、米ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの幹部連中が東京に来るようになった。これが結構なカルチャーショックでね。みんなTシャツにジーパンで、靴下もはかないでスニーカーだったりして。そんな恰好でソニーの本社に来るわけだよ。

スーツを来ているソニー本社の連中はみんな、びっくりしちゃって。「この世のもんじゃないな」みたいな目で彼らを見てた。「こういう連中がソニーグループに入って来ちゃうのかよ」、なんて言う人もいたよ。

会議に参加する人の格好からして全く違って、異様な感じがプンプン。モノ作り一筋だった我々とは世界が違うんだなという感じが出ていたよ。

だから、向こうに任せっきりで野放しになっていた部分はあるんだろうけど。米ソニー・ピクチャーズでは経営トップの2人が、しこたま会社のカネを使いこんでいる時期があったよね。大賀さんが米国に行って、ハリウッドの世界で「これは使える」と見込んだ人材を採用して経営陣に迎え入れたりしたわけだけれど、やはり言葉も文化も違う世界だし、ソニーはまだエンタメ業界のマネジメントもしたことがなかった。どういうタイプの人間がこの業界で信頼してビジネスを任せられるのか、それを見極める力が足りなかったのかもしれない。

音楽や映画の世界は、ちょっと異質だったよね。盛田さんは、ハード製品を売るためにソフト事業を強化するという位置づけにして、エレキ事業と全く関係ないわけじゃないから、という意図で買収をしたんだろうけれど。未知の事業で外国の企業でもある。人脈も知見も少ない状態で新しい分野に参入するのはリスクが多かったということだろう。

 

「プレステはソニー本体と距離があったから自由に作れた」

エレキ事業とエンタメ事業の間にあるような、ゲーム事業への参入については当時、大曽根さんはどのような意見だったのでしょうか。

大曽根:私が副社長をしていた時、プレステ(プレイステーション、日本では1994年に発売)を久夛良木(健、ソニー・コンピュータエンタテインメント社長やソニーの副社長などを歴任)が出すっていうんで、「ソニーはおもちゃ会社じゃないんだから、ゲームの機械にソニーの名前を付けちゃだめだ」と私が意見したんだよね。

そうすると大賀さんも、「それはそうだな」と同調してくれて。だからプレステは、「SONY」という名称が入っていないでしょ。今でもソニーの製品というより、「プレステ」として認知されている。それで良かったんだよ。

そういう経緯があるから、あえてソニー本体ではやらなかった。ソニーの完全子会社でもなく、ソニー・ミュージックエンタテインメントとソニーの共同出資会社になったわけだよ。

それなのに我々が引退した後で、今度はプレステが金のなる木に化けて、本体の事業より利益が出るようになってきたからということで、ソニーの完全子会社にしちゃった。ゲーム事業はソニー本体から少し離れて自由にやれるよう、あえてソニー・ミュージックとの共同出資にして遠ざけていたから、しがらみなく成長できたんだよ。

それなのに、カネに目がくらんで、本体に近づけようとして完全子会社にしちゃった。あの資本政策も、私は非常に違和感があったの。それぞれの会社の成り立ちには意味があるんだよ。深い考えがあるわけではなく、その会社が稼いでいるおカネが欲しいからといって、安易にその方針を変えてしまうというのは、よくなかったよね。

 

任天堂がゲーム機開発を依頼?

当時、ゲーム事業への参入について、ソニー本体では反対派が多かったと聞きました。

大曽根:私は別にゲーム事業の参入に反対していたわけではないよ。参入しても、製品にソニーの名前を入れないように、と考えていただけで。

後のプレステにつながるゲーム機は元々、任天堂に頼まれて開発していたんだ。それなのに任天堂が「やっぱりいらない」と言いだしたのが発端だよね。そのうえ、「これまでの開発費も払わない」と言われちゃった。そんな理不尽なことあるかということで、「よし。じゃあ自分たちでやろう」ということになったんだ。もう売り言葉に買い言葉で、久夛良木と大賀さんが話をしてやることになった、という経緯があるから。そしてプレステが生まれた。

経緯はどうあれ、あの時、ゲーム機に参入したのは正解だった。当時、ゲーム機では任天堂が唯一、飛び抜けた存在だったよね。そういう状況では、ゲームのソフトを作る会社の大部分は任天堂の言いなりになるしかない。みんな忌々しいと思いつつも、圧倒的に強い立場の任天堂の言うことを聞くほかなかった。

そういうところに、新勢力が入って見込みがありそうとなったら、みんながダーっとなびいてくるよね。ソニーがゲーム事業に入るとなったら、ソフト会社とはいい関係が作れるだろうと私は思ったよ。ソニーは音楽や映画事業も持っていて、コンテンツの重要性を理解する人材がグループ会社にいることも分かっていたからね。

売り言葉に買い言葉で決めた事業だったけれど、冷静に考えても、任天堂と戦える余地はあるなと感じていたよ。

 

ソニー復活のカギを握る有能な“不良社員”

しかし、プレステ後は斬新なヒット商品が生まれていません。今後、ソニーはかつてのようなヒット商品を生み出す会社に復活できるのでしょうか。

大曽根:まだソニーは大丈夫。建て直せる余地はあるよ。本来はものすごく豊かな発想で、アイデアをたくさん持っているエンジニアがいるはずなのに、管理屋に経営を牛耳られて不良社員化しているだけだから。リストラで抜けた人もいるけれど、不良社員化して社内に残っている人もいるはず。

そういう人たちは、成果報酬や業務の効率化で自由な開発ができなくなって、息苦しくなって、やる気を失っているだけなんだ。こうした人材が辞めてしまう前に、どうにかしてまた、やる気を起こさせることが重要だろうね。“有能な不良社員”をいつまでも社内で腐らせておくのはもったない。それがソニーを復活させるカギだろう。

ゼロを1にする人と、1を100にする人は別モノなんだ。そこそこ優秀な技術者なら、1を100にすることができるかもしれない。けれどゼロの状態を1にできる人はなかなかいない。そういう人はこだわりが強くて、奇人変人と呼ばれる類の人かもしれない。そんな人材をマネジメントできないと、新しいモノやおもしろいモノは生み出せないよね。

 

茶坊主の下には茶坊主しか集まらない

大曽根:ソニーの経営陣が、何とか、そういった人材をマネジメントできるようになってほしい。そのためには技術の先読みができる経営陣でないと難しいだろうね。トップが技術を理解できないなら、右腕に技術系の人材を据えて、補えるようにするとか。

有能な不良社員をやる気にさせるには、技術的な目利きが重要になる。その目利きはやはり社内の人がやるべきだ。社外取締役がいかに優秀でも、ソニーグループのどの技術者が有能かなんて分からない。だからそういう人を抜擢して、上に引き上げられない。

こうやって経営の課題を解決できれば、ソニーが復活できる「芽」が社内で出てくるはず。異能のリーダーの下に異能の人材が寄ってくるんだ。逆に、茶坊主の下には茶坊主しか集まらないんだよ。

 

「クヨクヨしないで頑張ろうよ」

実体験に裏付けされた、歯切れがよい大曽根さんの言葉は痛快で、人に元気を与えます。衰退する日本の電機産業や日本の技術者などにメッセージはありますか。

大曽根:メディアは「失われた20年」とか暗いことばかり言うけれど、もっと前向きなことを報道してほしいよ。GDP(国内総生産)で中国に抜かれたのは事実だけれど、世界中にこれだけたくさんの国があるなかで、国としてのGDP規模はまだ3位でしょ。失われた20年だったのに、ついこの間までは米国に次ぐ2位で、まだ世界で3位。それって、すごくないか。

産業の歴史から何を学び、どうしたら日本勢の強みを伸ばして成長できるか考えるべきだろう。さっき言ったように、化学やメカの分野で、まだ日本は技術を蓄積できていて競争力を持っている。強い産業はきちんと強くなっている。日本全体が変にクヨクヨしないで頑張ろうよ、って言いたいね。

世界で闘える電機メーカーだってまだまだたくさんあるよ。デジタル家電の部品会社として元気のいい村田製作所や京セラ、TDKは、もともと化学分野の製品も作っていたんだよ。抵抗・コンデンサとかね。だから韓国にも台湾にも中国にも、あんな機能を持つ部品を作れるメーカーが生まれてこないんだ。

米アップルのiPhoneも、1台につき約35%が日本の部品メーカーの部品を使っていると言われているでしょ。日本製部品の信頼性や品質は化学分野の強さから来ていて、今もとても競争力がある。

後はメカや機械の世界ね。実装機や生産設備もそう。産業機械からコマツのような建機まで、それらはメカの分野だ。この分野の製品も新興国勢は簡単にはマネできない。デジタル家電は数学ができればなんとか真似できるけれど、機械分野はそうはいかない。

その、機械とメカの塊が自動車だよ。デジタル家電は軒並み新興国勢にやられちゃったけれど、自動車会社は日本にたくさんあって、一部を除くと、みんな個性を出して成長している。

だから産業機械や素材、生産設備、医療機器、ロボットなど、そういう分野では、まだ日本勢が伸びるよね。しかも日本にはそういう分野の基礎技術や開発、生産のインフラが整っている。すそ野となる企業も育っている。こういう分野こそ日本企業は強化すべきなんだよ。

 

「市場が成熟?バカ言っているんじゃないよ」

一般消費者向けの最終製品ではなく、主にBtoB(企業間)や黒子となるような分野で日本のメーカーは生きていくべきなのでしょうか。

大曽根:そんなことはなくて、考え方次第だよ。あらゆる製品で「市場は成熟している」とか、したり顔で語られるけれど、「バカ言っているんじゃないよ」と言いたいね。今の製品なんかちっとも成熟してない。

最近の製品は処理能力が上がっただけで新しさを感じられない。だから誰も欲しいと思わなくなった。これを成熟市場になったからだと勘違いしているけれど、次から次に進化する未知の世界はあるんだよ。単に新しいコンセプトの創造ができてないだけなんだ。

消費者が新製品を買うかどうかを決めるのは、機能や能力が既存製品からアップしただけじゃない。だから最初の目標設定能力が大事なんだ。コンセプトと言ってもいい。どういうコンセプトの製品を作ろうという観点が、今の日本企業の最終製品にはなくなってきている。

結局、処理能力や機能向上ばかりの新製品が増えてしまうのは、1を100にすることが得意な人間が幅をきかせているっていうことなんだろうね。目標設定能力を持った人間がなかなか出てこないのだろうけど、確かにゼロを1にする人はそんなにいないよ。ただ重要なのは、そういうコンセプトを作れる人間を日本で大事にできるかどうかだろう。

ユニクロにしたって、「衣類」なんていうのはもう太古の昔からあった。だけどそういう製品市場で、全く新しいコンセプトの製品を作ったから急成長した。日本電産もそうだよね。モーターなんていうものは100年前からある。日立製作所の創業者がモーターを作っていたよね。だけどモーターの需要を次々に広げて、今も市場は伸びているでしょう。

だから、「この世に全くないモノを新しく創ろうなんていうことだけに、捉われなさるな」とも言いたいよ。衣類やモーターみたいに、元々あるものでも新しい発想や組み合わせで革新を生めるんだから。

 

「まずはやってごらん」と言いたい

大曽根:白物家電の分野もおもしろいよ。最近だって英ダイソンが、羽根のない扇風機を作ったよね。ずっと昔からある扇風機だけど、ああいう革新的な製品が白物家電の分野からはまだ出てくる。洗濯機や電気釜とか、日本勢しか作れないような製品がまだ出てきて、高い値段でも売れている。ここは韓国勢や中国勢と戦っても、安売りしなくて売れるでしょう。

デジタル製品分野で韓国や中国にやられちゃったことを、マスコミが過度に叩くから、みんなしょぼくれちゃったんだよ。電機だけでなく、いろんな分野で日本人は新しいものを作ってきたんだよ。勝てる領域で新しいことを大胆に発想して、「まずはやってごらんよ」と言いたいね。そういうムードができれば、日本からまた新しいものが次々と生まれるよ。

いつ成果が出るかとか、結果がどうなるかとか、管理屋的な発想は置いておいて、ね(笑)。まず自由に発想してほしいよね。みんなが何に困っていて、どうやったら便利になるのか、どんな世界になれば楽しくなるか考えていこうよ。

例えば、今も高速道路は渋滞していて正月や連休は大変になる。自動車のドローンみたいなものが出てきて、ひょいと3メートルくらいの高さまで上がって、すーっと空を飛んで進んで、渋滞が途切れたところまで飛んだら、また道路に降りて走行できるとか。ドローンは垂直に離着陸できるから、この技術をクルマと組み合わせられないのかな、とかさ。

「バカみたい」とか「そんな無茶な」とか思うかもしれない。だけど、まずは発想を豊かすることが重要なんだよ。そうしないとゼロは1にならない。

クルマもまだ進化するし、新しい需要を生みだせる。発想次第では、クルマをベースに新しいモノを出せるはずなんだ。衣類やモーター、クルマもそうだけど、まだ需要があって使っているものは、成熟市場になんてならなくて、成長産業になり得る。いらないものだったら、すぐにこの世からなくなっちゃう。必要だから、まだ存在しているんだから。

 

発想次第で、新しいモノはできる

大曽根:サービスでもいいんだよ。セブンイレブンは和魂洋才で生み出した新しい小売りサービスだよね。元々は米国で生まれたサービスを日本流にして、今の進化したコンビニビジネスができて、本家を追い抜いちゃった。

こういうので失敗するパターンは、海外で流行っているからと、そのまま日本に持ち込んで、うまくいかないやつね。日本向けの工夫がないからダメなんだ。「無魂洋才」じゃあセブンイレブンにはならない。既存のものにひと工夫がいるよね。

その点、星野リゾートも面白い。ホテルや旅館業は昔からあるのに、日本的なおもてなしのテーストを取り入れたりして外国人や日本の富裕層に受けている。元々あるサービスに日本ならではの良さや強みを加えても、新しいものができるんだ。

「発想次第で、新しいモノは必ずできるぜ」という心意気だよ。もっと日本全体で元気出して、自信を持とうよ。

(終)

 

大曽根幸三(おおそね・こうぞう)氏。

1933年生まれ。56年日本大学工学部卒業後、ミランダカメラに入社。61年にソニー入社。一貫してオーディオ分野を担当し続け、カセットテープからMDまで、一連のウォークマンシリーズの開発を手掛けた。89年に常務、90年に専務、94~96年まで副社長。2000年にアイワ会長へ就任。2002年にアイワ会長を退任した。(撮影:北山宏一)

 

ウォークマンの父、大曽根幸三が鳴らす警鐘(中)

オレの愛したソニー

「ソニーも大将が変わればがらりと変わる」

 

出井(伸之、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんが、ソニーの社長になった当初は、大曽根さんもまだ副社長でした。

大曽根:確かに私が副社長に就いていた時期は、出井さんのソニー経営トップ時代と少しかぶっていたな。

その頃のソニーは、もう売上高が4兆円とか5兆円の巨大企業になっていて、新社長が急激に舵を切っても、すぐには思い通りに方向転換できない図体になっていたよね。それが幸いして、出井さんが経営トップになってからも、大賀(典雄、元ソニー社長)さん時代の路線がまだ残っていて、その遺産でしばらくは調子良く見えていた。

大賀さんがなぜ出井さんを選んだのかという点は、本心ではどう考えていたかは分からない。だから私は、「あの大賀さんが後継者として出井さんを指名したんだから」と思って、何も言わなかったけれどね。その頃は、井深(大、ソニー創業者)さんも盛田(昭夫、ソニー創業者)さんも病気で倒れた後で、大賀さんが後継者について相談ができる状態でもなかったから。

大賀さんの社長時代、出井さんはデザイン部門のマネジメントなどを担当していたこともあったんだけど、「オーディオ事業はこうした方がいい」とか、大賀さんにいろいろなレポートを送って、自分の存在をアピールしていたよね。

その後、実際に出井さんがオーディオ事業を任されることになるんだけど、事業の舵取りはあまりうまくいかなかったのが事実だよ。出井さんは海外営業の経験が長くて、技術は分からなったから。

まあいろいろと報道されているし、彼がやったことの「いい悪い」は今さらもう話したくないけれどね。

大曽根:ただ、この20年のソニーの歴史を振り返ってもらえば、私が繰り返し主張してきたことの正しさを、よく分かってもらえると思うんだ。ソニーのようなハイテク企業は、組織のリーダーが技術に疎くてはダメなんだよ。新しい技術に終わりはなくて、次から次へ進化していく。それをいち早く理解して、どんな世の中が到来するのか想像できないと、どんな製品やサービスが売れて儲かるのかも分からない。

勘違いしてもらっては困るんだけど、これは批判ではなく心配なんだ。エレクトロニクス(エレキ)事業でさ、「もう少し何かやりようはないのか」という今のソニーの経営についての心配。事実として言えるのは、大賀さんの後、もう四半世紀近く、ソニーでは技術屋ではない“大将”が続いているということ。

正確に言うと、大賀さんは声楽家だけど、彼のように一芸に秀でる人間は多芸を理解できるんだ。だから大賀さんは技術も理解できた。井深さんや盛田さんに囲まれて仕事をしていたから鍛えられた面もあるだろう。

それは私も同じでね。既存製品の延長線上にあるような新製品のアイデアを井深さんに提案したりすると、「もっと飛躍した発想はできないのか」と叱られたりね。私が課長くらいの頃から、井深さんには厳しく鍛えられたよ。

だから今後のソニーも、大将が変わればがらりと変わる。

一番心配しているのは、技術が分かった上で経営もできる人材がどのくらいいるのかなってこと。現在は取締役会にも技術系の人材はいないよね。これでソニーの経営を監督できるのかね。

 

“できる人間”より“できた人間”

ソニーの「社長風」が変わったことで社員も変わり、次のリーダーになれるような人も育っていない、ということでしょうか。

大曽根:今でこそソニーの業績は回復してきているよ。だけど10年以上リストラがずっと続いてきた。一度辞めた優秀なエンジニアは、多少業績が改善されても、もう戻ってこない。この後遺症は小さくないよ。エレキ事業のあらゆる現場で、こういう優秀な技術者の流出が10年以上も続いてしまった。

 

“できた人間”の必要性を説く大曽根氏

どの技術に投資して、どの事業を伸ばしていくか。逆にどれを縮小するか。こういう経営判断は、技術の先読みができる経営者が一貫性を持ってやってほしいよね。技術の先読みのできない大将の問題だけではなくて、ソニーに入ってくる人も変わっちゃったよね。

高学歴な人間がどんどん入る会社になってから、ソニーは変わったんだ。大企業になるにつれ、学歴の高い人が集まるようになるのは当然なんだけどさ。

でも会社というか組織って、そういう頭が良くて優秀な“できる人間”だけを集めても、うまくいかないんだ。彼ら彼女らをうまく機能させるには、人徳や胆力などの人間力で、組織をまとめる能力を身に着けた“できた人間”ってのが必要なんだよ。“できた人間”をきちんと育てて、そういう人が組織を率いるようにすれば会社はうまくいく。

新しい大曽根語録ですね。「“できる人間”を生かすには、“できた人間”が必要」だと。

大曽根:分かりやすく言えばさ、井深さんや盛田さんは“できた人間”だったってことだよ。だからこそ、ソニーにいた“できる人間”は自分の能力をいかんなく発揮し、活躍できた。

世の中には、“できる人間”はたくさんいるんだ。それはさ、経営が厳しくなった東芝やシャープだって同じだと思うよ。でも“できる人間”をうまく機能させて率いる“できた人間”が組織の上に立たなくなったから、経営破たんや不正会計のように会社が傾く問題が起こっちゃうってことだ。

“できる人間”ばかりの会社ではダメだし、“できる人間”が組織を率いるようになると、リスクを取らずに安全そうな選択しかしなくなる。結果として、おもしろいものは生まれなくなる。斬新なアイデアがつぶされていくからね。すると、そういうアイデアを持つ社員がやる気を失い、本来の能力を発揮できず“不良社員”のようになって腐ってしまう。

 

「本社から出られたのはラッキー」

大曽根:一方で、“できた人間”は、懐が深いから斬新なアイデアを出す人材も大事にする。奇人変人も含めてね。短期では芽が出なさそうでも腰を据えて研究開発すれば革新的な製品につながりそうな技術を見出して、どっしりと構えて部下に開発を続けさせることができるんだ。

そういうことができるのが“できた人間”だよ。井深さんや盛田さんだけでなく、大賀さんもそうだったんだろうな。

だけどその後のソニーは、学歴や能力は高い“できる人間”が大勢いる組織にはなったんだけれど、それをうまく使いこなせるキーパーソンの“できた人間”がいなくなってきた。今はむしろ、本社から離れた場所から、こういう人材が生まれることを期待したいね。

今もたまに、かつての部下から呼ばれてソニーの工場などに講演をしに行くことがあるんだ。ソニーの海外工場に勤務している連中とかね。で、彼らの部下に話をするわけ。「本社を離れて海外の拠点にいると視点が変わる。外から本社を見ると、ダメなところや課題がよく分かるだろ」って繰り返し言っているんだ。

「本社から出されたとか落ち込んでいる人もいるかもしれないけど、むしろ、こういう場所に来られたのはラッキーだよ。ここで感じた本社の課題を心に刻んで、本社に戻った時に改善できるようにするんだ」という話もしている。

そうすると、本社から海外の工場に飛ばされたと感じている社員もみんな元気が出るんだよね。でもこれは単に元気づけるために言っているんじゃなくて、本心だよ。

実際、リーマンショック後に大赤字を出した日立製作所を再建した川村(隆、日立製作所の会長兼社長などを歴任)さんもそうだったでしょ。副社長を務めた後に本社を離れてグループ会社に出された。その際、客観的に本社の課題を認識できるようになった。そして、日立グループが経営危機に陥った時、本体に呼ばれて舞い戻り、会長兼社長になって、外から見ておかしいと思った部分を改革して日立を再生できたわけだ(詳細は書籍『異端児たちの決断』参照)。

 

取り巻きにお友達、ごますり…

リストラが続いたことで、とがった人が真っ先に辞めて人材の同質化が進んでいるという話も、ソニー内部からは聞こえてきます。近年のソニー本社は、現場レベルでも、ユニークな人材を排除する雰囲気があるようです。

大曽根:もしかすると、ソニーの代名詞である“自由闊達さ”を履き違えているのかもしれないね。これは決してやりたい放題で自由にやっていいという話ではないんだ。この言葉の本質は、「誰でも物事を自由に考えて、発言できる」ということなんだ。

井深さんと盛田さんは、技術系の課長レベルとでもきちんと議論ができた。それは技術も理解したうえで、役職の上下なんて関係なく、自由闊達に議論できるということを重視していたからなんだ。大賀さんも含め、自分に反対意見を言う人も尊重して、きちんと吟味したうえで決断を下していた。自分と意見が違っても、「なるほど」と思う反論ならば引き上げてきちんと対応した。

だけど、その後の経営陣も幹部も、取り巻きのお友達みたいな人たちやごますり連中で周りを固めてきたんじゃないかな。耳の痛いことを言ってくれる人がいないから、自由な議論もできない。そんな組織はダメだよね。

反対意見も踏まえて積極的に意見を出し合って、方向性がまとまってきて、最終的に決断する。これがあるべき姿だよ。それなのに、取り巻きにお友達、ごますりを集めて反対意見が出ない状況を作りだして、経営陣や幹部が自分勝手にやりたい放題ではダメでしょ。そういう状況が続いたから、ソニーの経営は長年にわたって迷走したんじゃないか。

ヒット商品がなかなか出ないところを見ると、経営だけでなく、製品開発の部門もそうなっているのではないかな。上司の承認を得るまでに、企画会議や根回しをやり過ぎているんだろうと思うよ。最初は斬新なアイデアでも、承認や合意を得るために会議を繰り返しているうちに、どんどんカドが取れて丸くなって、無難でつまらなくなる。

そういうのが出井さんの時代から、今の平井(一夫、現ソニー社長兼CEO)さんの体制まで、延々と続いているのかもしれない。私が、今の内部の社員と話をした限りでは、それは間違いないように思えるよね。

 

「エレキ事業全体で分社化すればよかった」

2015年の経営方針説明会では、本体のエレキ事業は、オーディオや半導体など、製品部門ごとに細かく分社されることが発表されました。事業ごとの意思決定を早めるため、責任を明確化するため、などと説明されています。

大曽根:過去を遡ると、ストリンガー(ハワード・ストリンガー、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)時代なんて、ハードウエアの事業にまるで興味なくて、映画や音楽を重視する方針ばかりだったよね。だけど「SONY」のブランドを世界に知らしめたのはどの事業だったのか忘れてないかい?エレキ事業だよ。

もう経営トップが技術を先読みした経営ができないのなら、さっさとソニーを持ち株会社化してしまった方がいいと思うね。エレキ事業全体を分社化して、そこのトップを技術系にすればよかったんだ。

エレキ事業はエレキの技術が分かる人に任せること。今も金融事業は金融分野が分かる人材に任せているんだから、そうした方がいい。エンタテインメント(エンタメ)も同様だよ。事業の性格が異なるんだから、そういう経営体制にすればいいんじゃないの。

それなのになぜ、エレキ全体で分社化せず、テレビやオーディオ、半導体、カメラと、個別の事業ごとに分社する方針にしたのかね。これはソニーの経営トップが責任を放棄できる体制だよね。事業部門ごとの子会社トップに意思決定を委ねて、失敗したら責任を取らせようという体制にしか見えないな。

そのうえ、隙あらば事業ごとに売却しやすいようにしているようにも見えるよね。そういう意図が透ける経営方針を出したもんだから、社員はがっかりしたし、ソニーのOBも残念に思った。そうすると現役社員が私たちのようなOBに愚痴りに来るわけ。そんな話を聞くのはもう堪えられないよ。

既に8兆円くらいの売り上げ規模の会社になっているから、方向を変えるのに時間がかかるのは分かるよ。巨艦だからね。だからこそ、デジタル化の波が押し寄せた10年前に、先を読んでエレキ事業全体の分社化を決断できていればと思うよ。エレキ事業を10年前に自由にしてくれていれば、ソニーの製品はもっと変わっていたはずだよ。

 

ストリンガーも読んだ提言書

大曽根さんは2009年、ストリンガー体制を批判した文書を執筆しています。「ソニーよ、“普通の会社”にまで堕ちてどうする」という仮題が付けられた書面を、ソニーOBからもらって私も読みました。当時の社長だった中鉢(良治、ソニー社長兼エレクトロニクスCEOなどを歴任)さんが更迭され、会長兼CEOだったストリンガー氏が社長も兼務して独裁色を強める事態に、警鐘を鳴らしていましたね。

大曽根:確かに私はストリンガーへの提言を書いたよ。ただ、今も誤解されているからはっきりと言っておくと、もともとこの提言書はメディアに載せるために書いたものではないんだ。自分が思っていたことをまとめただけなんだけど、いつの間にかネット上でソニー関係者に広まっちゃった。

「大曽根さん、よくぞ言ってくれました!」というようなことを現役ソニー社員やソニーOBから言われて困っちゃったんだけどさ。当時のソニーの広報もこれを手に入れて震え上がっちゃった。「まさかこれをメディアに出すつもりですか」って問い合わせが来たよ。

これは当時のソニーの経営陣に言いたいことをまとめたものであって、メディアに掲載するためじゃなかった。実際に今も断片的に流出しているけれど、正式にはどこのメディアにも出てないはずだよ。

でも、ネット時代のすごさだと思うけれど、私の提言書は、メールなんかで海外の事業所の人たちまで手にしちゃって、世界中のソニーに興味ある人たちに広まって読まれた。結局、ストリンガーや社外取締役も読んだらしいから、当初の目的は達成できたんだけどね。単にストリンガーやその取り巻き経営陣に「拳々服膺(けんけんふくよう、肝に銘ずるという意味)してくれよ」という意図を伝えたかっただけなんだ(笑)。

とはいえ、その後も、ソニーの経営は何も変わらなかったのは残念だったな。

提言書を書くという暗い行為は本当はやりたくないんだ。ただあの時は、とにかくソニーがこの先も続くようちゃんと経営してくれと言わなきゃいけないという思いが募って、一念発起したんだよね。

 

現場社員の不平を代弁して提言書を書いた

提言書を書くほど思いが募ったということは、当時、大曽根さんの周辺で具体的に何かがあったということですか。

大曽根:付き合いのあった取引業者やソニー社内の幹部連中からいろいろと相談が来ていたんだ。幹部だけじゃなくて、現場の女性社員まで私のところに愚痴りに来たよ。みんな、不平不満をOBに言いにくる異常事態だったんだ。

そういう社内の声を踏まえて、OBである私が、彼ら彼女らの訴えを代弁して書いたのがあの文書だよ。それなのに会社は聞く耳を持たない。その文書を上層部が読んでも何も変わらないから、近年はまた社内の人がOBたちに愚痴を言いに来るというサイクルが繰り返されてきている。

結局、大規模なリストラを続けたこと以外で業績回復に寄与した施策って、この10年くらいなかったよね。人を切るだけでなく、所有していた不動産も売って、それを借りる形にしてしのぐとか、そういうことばっかり。会社を救うような大きなヒット商品が出たわけではないし。

今の姿は、社員と資産を切り売りして数字を良くしただけなんじゃないか。そういう状態でいつまでもさまよっていてほしくない。だからソニーのOBはみんな心配しているんだ。ワクワクする製品も出てこないからソニーファンも寂しがっているよね。取引先の部品メーカーも同じだよ。

 

「他社の反応」を気にするソニー社員

大曽根:今は、新しい部品を開発してソニーに持って行っても、「この部品は採用実績があるのか」「他社はどう言っているのか」なんてソニーの社員が言うんだって。もうビックリだよ。

昔はさ、むしろ他社での採用実績がないことがメリットだと評価して、ソニーの最終製品に使う部品として率先して採用していたんだ。

だって、そうじゃないと新しい商品にならないから。実績や他社の反応とか聞いてから採用するか決めていたら、他社に先駆けるような斬新な製品は作れないよね。実績なんて気にせず、この部品はいけるかどうかのポテンシャルを目利きして判断しなきゃ。

輝いていた頃のソニーを知っている人間からすると、この10年のソニーの姿は想像できないものばかりだよ。社内の若い連中と飲んでいろいろ聞くと、もう理解できないことが次々と社内で起こっているんだ。

 

「仕事の報酬は仕事」

“ソニーマン”としての誇りというか、大曽根さんが現役だった頃の仕事の哲学が受け継がれていないということでしょうか。大曽根さんは仕事への思いいれが強く、「仕事の報酬は仕事」という名言も残しています。

大曽根:笑い話だけど、昔は給料も銀行振り込みではなくて、給料袋を手渡しでもらっていたわけ。でも、いろんなものを作って仕事に夢中で、朝方近くまで徹夜の騒ぎで「ああだ、こうだ」と議論しながらモノ作りをやってたわけだ。

そんな風に会社で夢中でいろいろ考えていると、給料日にもらった給料袋を机の引き出しに入れっぱなしにして家に帰っちゃうこともよくあったんだよ。すると女房から翌朝、「昨日は給料日じゃなかったでしょうか」なんて聞かれてしまう。「あ、そうだ、いけねえ。引き出しの中に入れてきちゃった。今日は必ず持って帰ってくるから」なんて言ってさ(笑)。

仕事が面白いと、どうしてもそうなっちゃう。そういう雰囲気で、次に何を作るのか考えて、手を動かして作るのが楽しくて仕方ない時期だったんだ。給料日に給料袋を持って帰るのを忘れるのも仕方ない。給料が上がることよりも、おもしろい仕事をさせてもらえる方がうれしかったわけ。私の周りにも、そういう奴らがいっぱいいた。だから私は「仕事の報酬は仕事だ」って部下に言っていたの。

いい仕事をした奴には、ご褒美として新しい“おもしろい仕事”を与えてきたわけだから。みんな、給料がどうこうというよりも、仕事がおもしろくて生き生きとしていたよね。だから、おもしろい製品が生まれたんだ。

 

業績が悪いのに経営トップは報酬数億円?

大曽根:そういう価値観って、今の時代でも日本人なら分かると思うんだけどね。だけどストリンガーが経営トップだった時代、報酬が数億円とかになっていた時期は、その感覚がもう分からなかった。

何億円もの報酬をもらって、ソニーの業績を良くしてくれてたらまだいいんだけれど、大して業績が良くもないのに高額の報酬もらっておかしいでしょ、と思ったわけ。業績が悪いのに経営トップが何億円ももらっていたら、普通の社員がやる気を失うのは当たり前だよね。

許せなかったのは、そういう報酬体系を作るためにガバナンスの体制をいじったことだよ。報酬委員会の人たちを“お友達”で固めて、自分の報酬をガッと上げる大義として利用してたようにしか見えなかった。そしてソニートップの報酬が、一気に数億円単位になっちゃった。それは業績をしっかり上げてからやってほしいよね。

話がそれちゃったね。私が昔に言った「仕事の報酬は仕事」もそうなんだけど、そういう教訓めいた言葉って、部下に長々と説明しても、お互いにわけ分からなくなるだけなんだ。だから私はできるだけ短い言葉で表現して、聞いた人が端的に理解できるようにしていた。

 

上司がファジーだと部下がビジーになる

大曽根:あいまいさを意味する「ファジー」って言葉が流行ってた時代を知っているかな?

その頃は「上司がファジーだと、部下がビジーになる」っていう教訓も言っていたんだ。これなんかまさに、近年のソニーの経営をうまく言い表しているでしょ。トップの言葉や方針が曖昧でよく分からないと、現場が迷走してムダに忙しくなるってことだよ。

 

 

ウォークマンの父、大曽根幸三が鳴らす警鐘(上)

オレの愛したソニー

「管理屋の跋扈でソニーからヒットが消えた」

 

戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。

連載3回目は、初代ウォークマンを開発した伝説の技術者、大曽根幸三氏。ソニー創業者の井深大や盛田昭夫と直接やり取りしながら進めたウォークマン開発の秘話や、なぜソニーを始めとする日本の電機産業が新しいモノを生みだせなくなったのかを、3日連続で語る。今回はその前編。

聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。

 

 

大曽根さんと言えば、いまだにソニーの代名詞ともなっている初代ウォークマン(1979年に発売)の開発者として有名です。そこでまずは、ウォークマンがどのような経緯で開発されたのか、伺えますか。

大曽根氏(以下、大曽根):昔のソニーは、市場調査なんてものをあまり重視しなかった。だからこそ斬新な製品を生み出せたんだよ。「まだ世の中にないものなんだから、消費者に聞いて調査をしても、欲しいものが出てくるわけがない」っていう考え方だった。

 

初代ウォークマンを作り始める時もそうだったな。

そもそもは井深(大、ソニー創業者)さんが海外出張に行く際に、飛行機の中で自由に音楽を聞きたいということで、「何かおもしろいものはないか?」と、当時テープレコーダーを作っていた私の部署に、ふらりと来たことがきっかけだったんだ。

私たちは現場で、既にソニーが発売していたモノラルタイプの小型テープレコーダーを、ステレオタイプに改造して遊んでいたんだよ。手のひらに乗るほど小さな機器だったんだけれど、ヘッドフォンにつなぐといい音が出せたんだよね。

それを井深さんに頼まれて、飛行機に持ち込めるような形にした試作品を作ったんだ。小さくしたままステレオ化するために、スピーカーと録音機能を外して、再生専用機にした。これが初代ウォークマンの試作機だよ。

 

「やりたいことは上司に隠れてやれ」

大曽根:井深さんは喜んでくれてね。海外出張から戻って来たら、「あれ、よかったよ」って言ってくれた。

なのにさ、私の直属の上司は、「そんな録音機能もないものを作ってどうすんだ」と反対したんだ。だから最初は大変だった。大賀(典雄、元ソニー社長)さんも直属の上司と同じ意見でさ、「録音機能がないと売れない」と言っていたんだよ。だけど、このあと、たまたま大賀さんが長期入院してしまったんだな。

私にとってみれば、大賀さんを飛び越して、井深さんや盛田(昭夫、ソニー創業者)さんと直接交渉する隙が生まれた(笑)。もともと応援してくれていた井深さんと盛田さんを味方に付けて、「(大賀さんが入院していると見込まれる)3カ月間で作っちゃえ」となったんだ。

大曽根語録の一つとして聞いたことがありますが、「やりたいことは上司に隠れてやれ」を、初代ウォークマン開発で実践していたんですね。

大曽根:井深さんや盛田さんがバックアップしてくれたから、初代ウォークマンは生み出せた。まだコンセプトやプロトタイプしかなかったのに、それについて聞いたり、見たりしただけで、その商品のすごさというか本質を見抜いたのが、井深さんと盛田さんの2人だった。

 

そうやって、この世にウォークマンが生まれたんだよ。

ウォークマンのコンセプトを披露した時に井深さんが言ったのは、「音楽は空気振動だから、できるだけ鼓膜に近いところで音を出した方がいい。出力をアップさせた据え置きのオーディオより、この方が迫力のある音で聞けそうだな」ということ。これはハード面の観点からウォークマンのすごさを理解したコメントだと思う。

一方で盛田さんは、「今の若者は寝ても覚めても音楽を聞きたがる。これは売れるぞ」というようなことを言っていた。これはソフト面からウォークマンのすごさを見抜いたコメントだよね。

2人とも技術者出身で技術を理解するからこそ、それがもたらすインパクトを、コンセプトを聞いた段階で先読みできたんだ。ウォークマンのハード面とソフト面のすごさを、それぞれ最初に言い当てたということだ。まだ見たこともない製品の話なのに、そういう意見をすぐに言えるっていうのは驚きだよね。

私は、売れそうだからと思うだけでなくて、自分が欲しいものをいろいろ作ってきただけなんだ。最初は仕事の合間に、密かに新製品の構想を考えていて、空き時間を使って、それを試作していたんだ。まるで「どぶろく」のようなもの。お上に隠れてこっそり作る密造酒みたいなもんだよね。

 

「かつては奇人変人の発想でもすぐに理解された」

米グーグルなど、現代の先進テクノロジー企業では、「業務時間の一部を自分の好きな技術開発のために使ってもいい」という就業規定があるそうです。会社公認かどうかは別ですが、隠れてそういうことができる環境が、当時のソニーにはあったということですね。

大曽根:何でも新しいものは、最初はマイノリティーの人たちが考え出すんだよ。誰もが思いつくものではないからね。

最初は少数人にしか理解されないくらい斬新でとがっているアイデアだから、当たり前だよね。1人か2人くらいの変わり者が、新しいものを生み出すんだよ。だからこそ異才とか、変人と呼ばれる人たちが重要なんだよね。

昔のソニーがすごかったのは、そういうごく少数派の奇人変人が、思いついたアイデアをもとに密かに試作した機器を見て、そのすごさをすぐに理解できる経営トップがいたということだ。だから仮に直属の上司が反対したとしても、話の分かる人がその上にいれば、チームでサポートしてもらえるようになって、世に製品を出すことができた。

これはさ、現場のすり合わせや、チームでアイデアを実現していくという、組織力が強い日本企業ならではだよね。外資系企業だと、「これは元々、俺のアイデアだ」とかさ、成果を取り合っちゃうから。こうはならないよ。

ソニーだけじゃなくて、ほかの日本企業にもこういう古き良き日本のよさがあった時代だと思う。いいアイデアを出す人がいたら、それをうまくチームで育てて、みんなでハッピーになろうという発想だよ。それに必要なのは、上に立つリーダーが、粗削りなアイデアをすぐ理解して、胆力を持って時間をかけて見守りながら、大事に育てていこうとする行為だよ。

 

斬新なアイデアは誰にまず披露すべきか

大曽根:ウォークマン開発で参考にすべき最大のポイントは、「斬新なアイデアを、誰にまず披露して、バックアップしてもらえるようにするべきか」という部分だろうね。そういう目利きができる人に最初に話をもっていかないと、いくらおもしろいアイデアでも、理解されずにつぶされてしまう危険性があるからさ。

伝説の技術者としてだけでなく、数々の名スローガンや語録を打ち出して部下をやる気にさせるという、大曽根さんのマネジメント手腕も有名です。だからこそ最後は、ソニーの副社長になった。

大曽根:大賀さんの社長時代に、我々は副社長として彼を支えていた。そんな経営体制だったな。でも私は元々、「役員になることさえ勘弁」という感じだったんだ。モノづくりが好きだから、現場に近いところにずっといたかったんだ。

実際に大賀さんにはそのように伝えていた。なのに大賀さんは、「いろんな製品でソニーを市場シェアトップにしてくれた。会社にこれだけ貢献してくれたので、そういうわけにはいかない」なんて言ってさ。結局、最後は副社長にされちゃった(笑)。

確かに副社長になるまでに、いろんな事業を担当して、多様な製品を作ったよね。マネジメントをやるようになってからの仕事で特に印象に残っているのは、テープレコーダーの部門で事業部長をやっていた時のことかな。

いきなり、「テープレコーダーだけじゃなくて、ハイファイ(高音質なハイファイ・オーディオ機器のこと)も担当して、テコ入れしてくれ」なんて言われちゃって。それまで、自分が担当してきたソニーの製品は、ウォークマンをはじめとしてどれもシェア1位ばかりで、「シェア2位以下」の製品なんて担当したことなかったの。だからビックリしちゃった。

当時のソニーのハイファイ製品のシェアは6位くらい。「シェア1位以外の製品の市場のことなんて、俺は分からねーよ」なんて言って断ろうとしていたんだけど。逆に、「じゃあ、ぜひ1位にしてほしい。来年からこの事業でも責任者をやってくれ」なんて言い返されて、引き受けざるを得なくなっちゃった。

そのころのハイファイ製品市場は、パイオニアやケンウッド(現JVCケンウッド)がトップ層にいたんだ。けれど市場調査によれば、ハイファイ分野では15%の市場シェアを取れば国内1位になれると分かった。

だから部下には、「15%の市場シェアを目指してがんばろうぜ」って発破をかけた。ただ、掛け声だけじゃつまらないからスローガンっぽくして、「15だからイチゴー。イチゴープロジェクトと名付ける」って宣言して、ハイファイのシステムコンポを正月くらいからソニーが出して頑張ったら、シェア6位だったのに1年間でシェアトップになっちゃった。

それでも勢いは止まらなくて。シェアは20%を超えて、最終的にはシェア30%くらいになったんだよね。当時のソニーってさ、現場の技術者を本気にさせると、こんなすごいことができた。そんな勢いがあったんだよね。

 

なぜシェア6位の負け組が1位に?

それにしてもハイファイの分野でシェア6位だったソニーが、いきなり1年間でシェア1位になれた。なぜでしょう。

大曽根:なぜ一気にシェアを伸ばせたのかというと、徹底的にユーザーに使いやすいハイファイを新しく作ったからだよ。当時の他社製のハイファイは、箱から出した後、アンプやスピーカーなどのモジュールを自分で配線してつながないと機能しなかったんだ。

でもさ、音響機器の配線なんて音楽マニアじゃないと分からないから。私は現場の技術者と議論しながら、ここに勝機があると思ったんだよね。アンプやスピーカーなどが他社製のようにモジュールごとに分離しているデザインだけど、実際には配線が最初からつながっていて、箱から出したらすぐに音楽が聞けるハイファイを作ったんだ。

つまり、ハイファイ製品なんて全く使ったことがない音楽の初心者や若い人が、すぐに使える製品を開発して発売した。それでぐんと対象ユーザーが増えたんだよ。新しい顧客層を創出したとも言えるな。

あの頃の日本の若者はちょうど、音楽が空気や水みたいになり始めていた。試験勉強も音楽を聞きながらやっている若者が出てきた頃だからね。私はそういう世相に敏感な盛田さんの意見を聞きながらウォークマンを開発した経験がある。だから、どれだけ日本人がいい音楽を手軽に聞きたがっているのか、よく分かっていたんだ。

若者だけじゃなくてさ。女性も新しいハイファイユーザーとして台頭してきた時代だったんだな。当時は女性も外で働くことが普通になり始めていた時代でさ。彼女らも通勤や仕事に疲れて帰ってきた後、寝る前に自分の部屋で好きな音楽を、できるだけいい音で聞きたいと思っていたんだよ。だからソニーが新たに出した、配線作業が全く必要ない初心者向けのハイファイは、女性でも使いやすいからすごい勢いで売れたんだ。

 

赤字事業を「百獣の王プロジェクト」で挽回

マネジメント経験としては、オーディオ分野だけではなく、テープ事業も担当していましたよね。なぜテープ事業まで任されたのでしょう。

大曽根:ハイファイでそんな実績があったものだから、その後、赤字事業の立て直しを頼まれるようになっちゃったってことだ。ソニーの役員としては、技術面を主に担当していて、中でもオーディオ関連の事業全般をカバーしていたんだけれど。ある時、「赤字のテープ事業を何とかテコ入れしてくれ」とまた無茶な要望が来たんだよね。

仙台市周辺の工場で生産していたソニーのテープ製品は、伝統的に強くて、利益率も高かった。だけど、ある年に100億円以上の赤字を出しちゃった。それは何十年ぶりかの出来事だったわけで、もう異常事態。だからハイファイのシェアを上げた手腕を使って「テープ事業の立て直しもやってくれ」と、また大賀さんに頼まれちゃった。

私は主にオーディオ関連の事業を担当してきたから、「大賀さん、俺はオーディオが専門なんだ。“再建屋”としてソニーにいるんじゃないよ」と最初は断った。だけど「役員なんだから、そのくらいやれ」と説き伏せられて(笑)。

未経験のテープ事業を担当して、赤字解消のためのプロジェクトを立ち上げたんだ。ちょうど110億円くらいの赤字だったから、これを解消するために、「110(ひゃくじゅう)」という数字の読み方にかけて、「百獣の王プロジェクト」って名付けたんだよね。

そしたらみんな頑張っちゃって、翌年には100億円以上の黒字になった。つまり200億円以上の利益改善をしたことになる。私が責任者について、「百獣の王プロジェクトで赤字を解消するぞ」と発破をかけ続けた結果が、これだった。

現場のメンバーは大きく変えてないのに、責任者が変わって、明確な目標を出したらこうなった。これは強烈な経験だったよね。いかにリーダーというか、“大将”の言葉が重要かって思い知ったよ。

この話はここで終わらなくて。110億円もあったテープ事業の赤字が解消できた翌年は、「百獣の王プロジェクトの2年目は、“ライオン2頭分”を目指すんだ」と言って、私が責任者になってから1年目に達成した水準の2倍となる利益目標を設定したんだ。そしたら本当に2年目は220億円の利益が出ちゃった。これには私もビックリしたよ。

 

端的かつ分かりやすい目標で人を動かす

「端的かつ分かりやすい」というのが、大曽根語録の真骨頂ですよね。そういう実体験から、人や組織を動かす言葉がどんどんと磨かれていったんですね。

大曽根:こういう分かりやすい目標って重要なんだよ。ハイファイの時は15%の市場シェアを取るために、数字の読みにかけて「イチゴープロジェクト」を立ち上げたと言ったでしょ。110億円の赤字解消だから「百獣の王プロジェクト」と名付けたのも同じ発想だよ。

まずはこの数字が当面のゴールだということを、みんなに意識させたかったんだ。もちろん言葉だけでなく、見えるモノを作って意識合わせすることも重要だと、これらのプロジェクトを通じて学んだんだ。プロジェクトメンバーには専用バッジまで作ってね。それを部署のメンバーが胸に付けて頑張ったんだ。

ほかの事業部の人から見れば全く意味の分からないバッジだったと思うんだ。だけどメンバーが社員食堂に行くと、「何を胸に付けてるの?かわいいねー」なんて、ほかの事業部の女性社員に話かけられたりするわけ。そうするとさ、男のプロジェクトメンバーが、なんか誇らしい気分になって喜んじゃって、もっとやる気になったんだよ。人間だからそういうのって嬉しいよね。

考えてもみてよ。シェア6位の状況から、はるか上のシェア1位になれる15%の市場シェアを取らなきゃいけない。そのプレッシャーはみんな大変だったと思う。だからこそ私は、「イチゴープロジェクト」みたいな掛け声や、バッジを作るといった遊び心が必要だと思ったんだ。

 

「おもしろくなきゃ仕事じゃない」

大曽根:私は「仕事には遊び心が必要」という思想を持っているんだ。仕事が楽しくなれば、多少はつらくても頑張ろうって気になるし、やれることは何でも徹底的に追求したいという粘りも出てくる。社員食堂で、見知らぬ女性社員から「バッジがかわいい」と言われれば、男だったら悪い気分にはならない(笑)。多少はよこしまな動機付けだけど、こういう遊びもつらい仕事には必要だよね。

ここで言いたいのは、どんなにつらい時でも、そういう遊び心を持てる余裕を持つことが、新しい革新的なアイデアや創造的なものを生む原動力になるということなんだ。「おもしろくなきゃ仕事じゃない」と、みんなに分かってほしかったし、その思いが部下に通じたから、ハイファイやテープ事業の無茶なプロジェクトは成功した。

実際に、荒唐無稽と思えるようなシェア向上や赤字解消というのは、本当につらい仕事だった。だけど現場のメンバーに悲壮感は全くなくて、楽しく仕事をして目標を達成できた。

 

「管理をするばかりが能じゃない」

近年のソニーはリストラ続きで、そんな遊び心を持てるプロジェクトはなかったのかもしれませんし、「遊び心を持て」と部下を鼓舞できる上司もいなくなったのかもしれません。

大曽根:たとえコスト削減が必須な仕事でも、管理をするばかりじゃ能がない。ある程度の自由度を現場に与え、遊び心を忘れないようにして次への希望を生み出すことが重要なんだよ。

そうしないと新しい発想の逆転劇なんて出てこないから。必要なのは、「やってみないと分からない」という精神。失敗をとがめるやり方じゃ誰も挑戦しなくなるから、あえて私はそうやってきた。若い人に対しては、特に失敗をとがめたりしないで、私心を含まずに評価してあげれば、失敗しても何度でも立ち上がって挑戦してくれるよ。

むしろ失敗したからこそ次に生かせる部分が出てくる。実際に、苦境に見舞われていた時期のハイファイやテープの事業でも、現場の雰囲気は暗くなくて、チャレンジしやすい環境だったというのは、さっき言ったよね。そういう雰囲気を作っておくと、「こんなもの作ってみたい」「こんなことやってみたい」というアイデアが現場から自発的に出てくるようになる。

気を付けなきゃいけないのは、若手からそういうあら削りのアイデア出てきても、弁舌さわやかに斬新なアイデアを潰そうとする管理職がいるってことだ。だから私は、潰そうという意図が感じられる意見を言う幹部には、「もっと前向きな質問をしろ」と指導していたね。

例えばさ、新しいアイデアを出した若手に対して、「それはいいアイデアだが、一体誰がやるのか」とか、「心意気はいいけどさ、失敗したら君は責任取れるのか」みたいな意見ね。そういう非生産的なことを最初から言う上司って、昔も今もいるでしょ。

だから私は、会議でそんな意見を聞くたびに、「そういう質問はやめろ!」と一喝した。部門の大将がそういうこと言うと、その下のグループレベルのリーダーでもその方針が徹底されるから。やはり、統括する大将の言うことって大事なんだよ。

 

“管理屋”が跋扈する今のソニー

 

今のソニーの大将である平井(一夫、現ソニー社長兼CEO)さんが率いるソニーは、大曽根さんからはどう見えていますか。

大曽根:ずいぶんとソニーも変わっちゃったよね。みんな、やけに失敗を恐れるんだよ。それぞれの事業を担当する大将がそうなっちゃっているから、下の幹部も若手もみんな、及び腰になっちゃう。管理屋が跋扈しているから、こうなったんだろね。

 

おもしろいスローガンを作って盛り上げるとか、遊び心を大事にするとか、そういうのが全くなくなった。

数字で管理されてばかり。それはそれで大事だけれど、成果主義や結果主義が行き過ぎると、人間のモチベーションは落ちて自由な発想なんてできないし、長いプロセスを経ても作りたいという思いも薄れて、新しいものが出てこなくなるのは当たり前だよ。

荒削りのアイデアでも、技術が分かる専門家ならピンときて、「これはいけそうだ」と分かる。今のソニーにはそういう人がいないから、ヒット商品がずっと出なくて、二番煎じみたいな製品ばかりが増えてしまった。

 

井深さんに言われた「次は何を作ろうか」

大曽根:私はソニーに中途入社して以降、井深さんや盛田さんの近くにいたので、現場に腹落ちする言葉を使って話をする重要性を理解していた。現場の技術者のモチベーションをいかに盛り上げるかという大切さがよく分かったからさ。井深さんはよく、モノ作りの現場に来てさ、「次は何を作ろうか」っていうのが口癖だったね。この言葉が、一兵卒の技術者としては嬉しくてさ。

井深さんは、俺のところに来ると「次は何やろうか」ってそればっかり。新製品ができたのでほめてくれるのかと思ったら、「それはもういいから、さあ次は何だ」ってね。「次々に新しいことをやろうぜ」っていう雰囲気ができてないと、現場もそういう意識にはならない。そうじゃないと革新的なものが出てこないよね。新しいものを作るのがメーカーなんだから、やはり、そういうトップが必要なんだろな。

しかも何が革新的なのかを、井深さんや盛田さんが自ら考えて言ってくれていたし、現場からのアイデアも遊び心を大事にして聞いてくれた。トップと現場の技術者が互いに刺激を受けながら新しいものを生み出すことの大事さを、井深さんと盛田さんは次の世代の指導者のために、あえて見せようとしていたんじゃないかな。

そうやって、次世代のリーダーを育てようとしていたんだろうね。実際に私は2人の姿を見て感化された。だから私も同じことを次の世代にしてあげたいと思ったし、してきたつもりだ。

 

「大事なのは“社風”じゃなくて“社長風”」

なのになぜ、ソニーは変わってしまったのでしょうか。

大曽根:本当に残念なことで、これに抗うのは難しいんだけど、どうしても会社や組織が大きくなってしまうと、「和」を保ちたがる人が多くなるんだ。異端や斬新なアイデアを、管理が得意な人が潰していく。

最初から「利益率がどうこう」という話ばかりをして、いくら先行投資をしても時間がかかっても、おもしろいものを作ろうという発想がなくなっていく。そんな状態では、斬新なものやおもしろいものは何も作れないよ。

そうならないような雰囲気づくりは、井深さんと盛田さんの2人に感化され続けてきたから、私はそれが当たり前だと思ってきた。だけど時代が変わって組織が肥大化して、変化してしまったのかもしれない。

つくづく思うのはさ、「ソニーには、自由闊達な社風がある」と言われ続けてきたけど、実は“社風”なんてものはこの世に存在しない、ということなんだよ。

 

あるとすれば、“社長風(しゃちょうふう)”。

社長の考え方をいかに周りの幹部や社員たちに伝えて、感化させていけるのかということが組織の行く末を決めるんだ。それが今も社風という言葉で言われるけど、突き詰めると会社の社風ではなく、それは社長の生き方や考え方なんだ。

だから私「社風」とは言わず、「社長風」と言っている。社風じゃなくて社長風が大事なんだ。その証拠に、本当に社風という言い方が正しいなら、社長が変わっても会社の方針や雰囲気はずっと変わらないはずだろう。だけど実際は、社長が変わると会社の雰囲気が変わってしまう。

ソニーの歴史を見れば分かるでしょ。だから本当は、社長風が正しいんだ。

組織の上に立つ者の哲学や考え方、影響力がいかに甚大か。これは、自分がソニーをリタイアした後に冷静に振り返ると、本当に痛切に感じるんだ。

 

技術系経営者か、そうではないか

「社風じゃなくて、社長風」とは、さらりと名言を吐きますね。ではソニーの“社長風”が、従来と大きく変わった時期はいつだと考えていますか。

大曽根:出井(伸之、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんが社長になって、会社の雰囲気がガラリと変わったよね。大賀さんは技術屋じゃないが、井深さんと盛田さんの薫陶を受けていて、技術の重要性を理解していた。何より、この技術がものになるかというセンスはあったよね。

ソニーがメーカーである以上、ビジネスのことに精通しているだけではダメで、テクノロジーが理解できないトップはダメだ。新しい技術に対峙した時に、その技術が使われるであろう、まだ見たことものない世界を想像するには、技術の先読みができないと不可能だから。

技術系が代々の社長をやるというのを今も守っているメーカーがホンダだよね。日立製作所も技術系出身者が歴代社長を務めて、それを守っている。メーカーにとって重要なことだと思うよ。

でも最近、ほかの自動車会社や電機メーカーでは経済学部や法学部など文系出身の社長が出てきているよね。東芝はその典型例だよ。ライバルだった日立と東芝で大きく差がついたのは、こういう部分も大きいのではないかな。

業績が過度に傾くと、技術出身の人材がトップに就任して経営再建するということが繰り返されている。金融やメディアなどの分野は別として、メーカーはトップが技術を理解できるかどうかが重要なんだ。新しい技術が出てきた時、どれに大きく投資するかがメーカーの経営判断では重要になる。だから新技術を起点に、まだ見ぬ将来像を自分で描けないと辛いでしょう。

 

「3年で利益の出る技術ならほかも真似する」

大曽根:今のソニーの稼ぎ頭の事業になっているイメージセンサーは、岩間(和夫、元ソニー社長)さんの時代から、すぐに利益が出ないのに投資をしっぱなしだったんだから。開発を始めた当時は、当然のごとく利益なんて出てないし、少なくとも10年以上は開発のための投資が必要と言われていたのに、それを続けた。

まさに技術の先読みができて、「いずれこの技術で儲けられる時代が来る」って確信ができなければ、こんな投資はできないよ。今はさ、短期志向の投資ファンドなどの株主から、「いつ、どんな、リターンがあるのか」とか言われて、技術が分からない経営トップが「選択と集中」とか言い訳して、3年くらいでやめちゃうだろうね。

でもさ、研究開発を始めて、たった3年で利益が出るような簡単な技術なら、どんな企業も真似するよ。そうじゃない技術の「芽」を見出して事業化しようとする目利きがあるからこそ、差別化ができるんだ。まさに昔のソニーは、ほかの企業なら踏み込まないような領域の技術開発に挑んで、必ず実用化する気概と忍耐力を持っていたんだ。

冷静に考えてみてよ。井深さんや盛田さんの時代には、トランジスタラジオやウォークマンが出てきて、岩間さんはイメージセンサーの走りを作った。そして大賀さんはCDなどを世に出した。だけど大賀さんの後のソニーの経営トップはみんな、歴史に残るような製品を何も出せてない。

技術が分からないトップが就任すると、こうなるってことだよ。

 

大曽根幸三(おおそね・こうぞう)氏。

1933年生まれ。56年日本大学工学部卒業後、ミランダカメラに入社。61年にソニー入社。一貫してオーディオ分野を担当し続け、カセットテープからMDまで、一連のウォークマンシリーズの開発を手掛けた。89年に常務、90年に専務、94~96年まで副社長。2000年にアイワ会長へ就任。2002年にアイワ会長を退任した。(撮影:北山 宏一)

 

「勝つ」のではなく「負けない戦略」を考えた

トップリーダーかく語りき

アイスタイル社長兼CEO吉松徹郎氏に聞く(前編)

アイスタイルが運営する「@cosme」(アットコスメ)の月間利用者数は約1300万人。20代から30代女性の2人に1人は利用しているという、日本最大級の化粧品口コミサイトだ。1999年の創業から17年目を迎えるが、栄枯盛衰激しいIT業界で生き残ってきた最大の理由はその豊富なデータベースにある。「うちはマーケット・クラッシャーではなく、マーケット・デザイン・カンパニーだ」と語る社長兼CEOの吉松徹郎氏に、その詳しい戦略を聞いた。(構成/曲沼美恵)

化粧品口コミサイト「@cosme」のほか、EC(電子商取引)サイトも運営し、首都圏を中心に実店舗も展開されていますね。もともとはどのような発想からビジネスをスタートされたのでしょうか。

吉松:基本はやはり、データベースをどう作るかというところからです。「@cosme」も、各化粧品メーカーが自社では持ち得ない顧客データを、ネットを使ってどう集められるかというところから発想して作りました。

化粧品メーカーのA社であれば、自社商品を買ったお客さんのデータを集めることはできても、B社の商品を買ったお客さんのデータはなかなか集められない。ならばメーカーを問わず、あらゆる化粧品のデータを一元化して集められるプラットフォームをうちが作ろう、と。そのキーワードが「口コミ」であり、口コミを集める手段がインターネットでした。

そのような口コミをリアルに体験できるお店が「@cosmestore」です。我々は(化粧品業界独特の商慣習のため)一流百貨店が扱う化粧品を仕入れることはできなくても、サンプルとして並べることはできる。そうすると、お客さんはそれとほかの化粧品を比較した上で百貨店へ行けますよね。つまり、実際に買う前に立ち寄れる店にしようね、という考え方でずっと来ています。

 

価格競争に巻き込まれにくい商材が化粧品だった

では、なぜ化粧品だったのかと言いますと、再販制度があるからです。ほとんどの商品では、中間流通を省いてeコマースにしても、参入障壁が低いですから、いずれは価格競争に巻き込まれてしまう。そうならない商材は何かと考えた時に、書籍等と非常に近い化粧品が思い浮かびました。

ECサイト「@cosmeshopping」を始めた当初は「どうせ安売りするんだろう」と言われましたが、基本は定価販売です。僕たちは価格破壊を目的としたマーケット・クラッシャーではなく、あくまでマーケット・デザイン・カンパニーを標榜しています。データベースを使い、消費者の声がリアルに反映される新しい仕組み、市場構造を作りたいだけであって、既存の秩序を壊そうとしているわけではない。これが根っこの部分にある考え方です。

データベースの構築には資金的な体力も必要だったのでは?

吉松:そうですね、初期の頃は大変でした。資金が必要だった部分は大きく2つありまして、1つは「データベースを作るためのコスト」、もう1つは「データベースを維持・管理していくためのコスト」です。

前者のコストに関して言いますと、僕らはデータの登録そのものをユーザーに開放する方法を取りました。当時としては画期的だったと思いますが、このことによって、データ作成のために必要なコストは劇的に安く抑えられた。一方で、苦しかったのは後者の方。当時はまだネットワーク・インフラのコストが高すぎて、アクセス数が増えるほどサーバーの維持・管理コストも増えていった。結果、なかなか収益化できない時期があって、その辺りの資金繰りには非常に苦労しました。

 

最大手を口説き落とすまでじっと我慢した

データの登録をユーザーに開放するという判断は弱みを強みに変える「逆転の発想」だったと思うのですが、それは簡単に出てきたのでしょうか。

吉松:そこは自然に。データを入力するほど面倒なことはありませんから、その部分はユーザーにお願いすべきだという考えは比較的シンプルに出てきました。大変だったのはむしろ、写真などの商品データを揃えることの方だったかもしれません。

我々が目指すのは口コミデータの一元化ですから、メーカーをまんべんなく巻き込まないといけない。最初はもちろん、そんな訳の分からないサイトに自社の商品データを提供できるか、という反応ばかりでした。どうせサイトには悪口を書き込まれるんだろう、と。

今ならば「食べログ」の化粧品版ですよとか、「Amazon」の化粧品版ですという説明ができるんですけれども、当時はインターネットのユーザーそのものが限られている上、ビジネス誌に「Amazonは黒字化するのか?」という見出しが躍るような時代でしたから。多くの人は口コミサイトが何なのか見たこともないし、「それを通じて獲得できるデータに価値があるんです」と説明しても、なかなか分かってもらえませんでした。

実は、比較的早いうちから、広告を出したいというメーカーもありました。しかし、僕らはあえて業界最大手を口説けるまではすべてお断りしていました。最初に小さいメーカーの広告を載せてしまうと、大手がそれと同列に紹介されるのを嫌がる。そうすると、本来の目的であるデータベースの一元化も難しくなってしまいますから、そこはじっと我慢しました。

「移り気」と言われる女性を惹きつけ続け、データベースを充実させ続けていくのはなかなか大変だと思いますが、栄枯盛衰激しい中で、「@cosme」が生き残ってきた理由はどこにあるとお考えですか。

吉松:僕たちが常に言っているのは、「@cosme」はメディアじゃない、ということです。だから、ブームはつくらない。メディアになると、必ず、ユーザーに飽きられちゃうんです。僕らはあくまでもプラットフォームであって、ユーザーから見たときに、ここにしかない情報をいかにため続けられるかということだけを主眼に置いてビジネスをしてきました。

 

目指したのは「メディア」ではなく「プラットフォーム」

例えば、似たような口コミサイトに「Yahoo!ビューティ」がありますが、そこに流す商品や口コミの情報も、実はアイスタイルが提供しています。「@cosme」をメディアと考えると「Yahoo!ビューティ」と競合してしまいますが、プラットフォームと考えれば共存できる。メーカーにとっても、アイスタイルにさえ情報を提供しておけば、どこにでも配信してくれるわけですから、業務を効率化できる。

仮に、相手が同じようなことをやろうとしても、キャッチアップしてくるまでには時間がかかります。その間にこちらが成長していれば、負けることはありません。社内ではよく「負けない戦略」と呼んでいますけれど、我々のところにデータがたまる仕組みを維持できれば、結果的に敵はつくられない。

大手から見た場合に、自社でやるよりもアイスタイルと組んだ方が得だと思える状態をいかにつくっていくか、ということでしょうか。

吉松:そうです。ベンチャーの強みは時間をかけられることしかないので、かけた時間がアドバンテージとして残るような戦略は何か、ということは常に考えながらやってきました。