福澤武(16)年上の下級生

狐狸庵先生に講演依頼
読書合宿、E・H・カーに学ぶ

振り返れば、ぶしつけだったかもしれない。

慶応大学の2年生のとき、小説家の遠藤周作さんの自宅へ押しかけた。事前の約束なしの突撃訪問である。

「内容はお任せします。日吉のキャンパスまで来ていただき、学生に何かお話ししていただけないでしょうか」

狐狸庵先生は和服姿で現れると、二つ返事で引き受けてくれた。母校の後輩からのお願いだったし、主催が大学の「カトリック栄誦会」だったこともあっただろう。

栄誦会とは、カトリック信者の慶大生がつくったサークルである。大正時代に医学部で生まれた。遠藤さんのような著名講師を呼んで講演会を開いたり、託児所の子どもたちに勉強を教えたりした。

仲間からは「福澤さん」と呼ばれた。上級生たちにとっても、年上の下級生である。たぶん、「あの年寄りにやらせとけばいい」ということなのか、最後は全体をまとめる委員長を任された。

真面目な活動ばかりではない。ダンスパーティーやら、野球大会やら。とりまとめ役は忙しかったが、嫌ではなかった。仲間と過ごす学校生活は慶応幼稚舎以来である。最初は体調を考えて「午後9時には就寝すべし」という医者の厳命を守っていたが、大学生活3年目になると、ルール破りが常習になった。

キャンパスライフを満喫できたのは、厳しい体調管理のおかげで「にわかリッチ」になったからである。

1年生のうちは規則正しく自宅と大学を往復するだけ。やることは勉強しかなかったから、成績はよかった。奨学金の面接を受けると、担当の教授は、父の収入の金額を見て「これは苦しいね」と即断してくれた。

父は愚痴などもらさなかったが、家は戦争で焼け、戦後の混乱の中で家計は逼迫していた。私の成績表が大学から家に届くと、父は「成績優秀!」と言って渡してくれた。うれしかったんだと思う。

奨学金と家庭教師のアルバイト代で月8000円。大卒の初任給は当時1万円ほどだったから、懐は温かい。教科書はやっと人並みに買えるようになった。

3年生の夏休みは、友達と「読書に明け暮れるのもいいじゃないか」と話し合い、信州の禅寺に1カ月間、こもった。我が家が疎開したときにも使った革製のトランクに30冊ほど詰め、「チッキ」という鉄道便で寺に送った。

ヘーゲルの哲学書や古典も入れたが、すべて読めるはずがない。記憶に残る本は英国の国際政治学者、E・H・カーの「平和の条件」である。

カーが執筆したのは、英国がドイツの猛爆撃にさらされていたころだった。明日をも知れない状況で、戦後に世界平和を確立する条件について考えていた。いかなるときでも、長期的な展望を失わないことの大切さを知った。

この本を薦めてくれた先生が国際政治論の内山正熊教授である。太平洋戦争などを例に引きながら、戦略と戦術の違いも分かりやすく教えてくれた。短期目標も長期目標も大切だ、という考え方は後に会社経営で役立った。

4年生に上がると、避けては通れない関門が目の前に迫ってきた。

就職活動である。

(三菱地所名誉顧問)

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