小椋佳(26)仮面の肉面化

退職、音楽のためならず
哲学を修めに東大再入学

私が銀行に就職すると決めたおよそ半世紀前は「1億総サラリーマン化」の時代であり、現代日本人の最大の問題は「人間の疎外、個の喪失」であると喧伝されていた。私は銀行に入って組織内存在として暮らしながらも、同時に何らかの創造的な作業を続け、表現者としても生きようと自分を納得させた。

銀行員になって数年を経ぬうちに、「歌の創り手」という形で表現者としての場を持つ幸運に恵まれた。

40代の半ばに至った頃、そろそろ銀行を辞めるべき時期が来ていると感じ始めていた。平家物語の終盤に出てくる「見るべきほどのことは見つ」を実感したからである。

ところが、観察者であったはずの私にも「仮面の肉面化」現象は着実に起きていた。巧みに演じたと言うのがふさわしくないほどに、銀行員として一所懸命に生きてきてしまったと思われた。一所懸命の内実とは、組織の価値構造に身を染め、組織に高い評価を受ける振る舞いを心掛けていたということである。

そろそろ辞めようと思いながら、その意味での一所懸命さが1991年に47歳で浜松支店長となり、財務サービス部の部長として戻る49歳まで尾を引いた。それ以上居残れば、残されたエネルギーをサラリーマンとしてのさらなる栄達に費やすことになる。それは若い日私が意図した生き方ではないと自省された。49歳半ばでようやく退職の決意をした。相当優柔不断な人間だったということだろう。

退職してみると、マスコミは盛んに「小椋佳、銀行を早期退職。今後は二足のわらじの片方を脱ぎ、歌手稼業に専念」などと書き立ててくれた。本人は「二足のわらじ」を履いていたつもりも、以降、音楽活動に専念する気もさらさらなかったのに。

もう一度学生に戻り、若い日にやり残した感のある哲学を修めたいと考えていた。3年生に編入するにはどうしたらいいか、幾つかの大学に尋ねてみた。どの大学からも、そのためには学士入学試験があるとの答えが返ってきた。筆記試験があり、かつ外国語2種の試験が必須だという。

英語だけであれば銀行員時代に多用していたからOKなのだが、試験まで数カ月のうちにもう一つ外国語を習得するのは無理だと諦めかけていたところに、折よく東京大学の憲法の主任教授になっていた友人から連絡が入った。

「母校である東大の卒業した学部であれば、面接試験だけで学士入学は可能だよ」

「法学部に戻るんじゃ意味ないよ。僕は法律なんていまさら興味ないんだ」

「とにかく入学しちゃえば、文学部だって哲学科の教室にだって聴講に行けるよ」

世の中「持つべきものは友」である。翌94年の春、私は50歳で東大法学部の3年生になった。新しい学友はほとんど20歳そこそこである。

再入学してみてすぐに気付いたのは、法学嫌いは若い日の思い違いだったということ。どの科目も面白くて仕方がない。毎朝一番で登校し、どの教室にも精勤して、夕方からは図書館通いである。期末の成績は全て「優」となったが、それはある意味では失敗だった。1年間で単位オーバーとなり、卒業させられてしまったのである。

心改め、翌年の文学部学士入学試験に備えて1年間、フランス語などの独学に励むことになる。

(作詩・作曲家)

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