葛西敬之(25)「のぞみ」登場

初の全面刷新
時速270キロ
車両を軽量化、命名は一苦労

1987年の12月上旬、リヨン―パリ間でフランスの誇る高速鉄道TGVに乗車する機会があった。時速270キロは当時の世界最速である。しかし、その印象は重そうな客車の先頭と末尾に強力な機関車を配して、田園の中を大きな音を立てながら走行する長閑な高速列車という感じだった。

同行のエンジニアが言う。人口稠密地帯を走る東海道新幹線の場合は騒音・振動対策や耐震性強化が必要なうえに、カーブもTGVよりきつい。「それでも時速220キロから270キロには上げられると思いますよ」

帰国早々の88年1月、「新幹線速度向上プロジェクト委員会」を立ち上げた。新幹線運行本部長の副島廣海さんをリーダーに各分野の技術者が寝食を忘れて検討した結果、半年後の9月には成案を得た。その骨幹は、(1)時速270キロ運転のために新型車両(300系)を開発する(2)アルミ車体、交流モーター、軽量台車を採用して車両を25~30%軽量化し、沿線の振動を現状以下に抑える(3)車体の流線型化と表面の平滑化、パンタグラフ数の削減などにより沿線の騒音を現状以下に抑える(4)電力回生ブレーキの採用なども併用して消費電力を節約する(5)空調機器を床下に置くなどして車体の重心を下げ、半径2500メートルの曲線を時速255キロで通過する(6)地震の早期警戒装置を導入するなど、東海道新幹線開業以来初のフルモデルチェンジであり、あらゆる技術的挑戦を盛り込んだ画期的な計画であった。

直ちに経営会議で決定し、12月に300系一編成を発注、2年間の実証運転を経て92年3月に「のぞみ」がデビュー。東京―大阪2.5時間時代の幕が開き、高頻度輸送の利便性とあいまって対航空サービス優位が強化された。

「のぞみ」の命名には一苦労した。千を超える候補を20に絞り、最終決定の場が設けられた。外部の有識者として齋藤茂太、牧野昇、阿川佐和子の3氏を招聘し、部内からは須田寛社長と私を含めて5人が出席した。

「ひかり」「こだま」より速い列車を何と呼ぶか、悩ましいところである。阿川佐和子さんが、「日本を代表する列車だから『やまと言葉』でなければいけない。父は『つばめ』が良いと言っていました」と発言、これが基調となった。他に「すばる」「あすか」などもあったが、リストにあった「希望」を「のぞみ」に読み替えることで意見の一致を見た。馴染んでみると良い命名だったと思う。

300系車両の軽量化は土木構造物への負担を軽減し、高架橋や鉄橋などの寿命を延ばすという波及効果をもたらした。発足当初は20年後には取り換えが発生する可能性ありと言われていた土木構造物は、今日では適切な保全さえすればいくらでももつことが解明されている。

300系システムの導入を契機に、国鉄時代には抑えられていた新技術導入への衝動が解放され、あたかも堰を切ったかのように700系、N700系、そしてN700Aがほぼ7年おきに開発投入された。N700系・N700Aのエネルギー消費は時速220キロの0系と比較すると半分程度である。構造物の耐震化・長寿命化、地震時の車両脱線逸脱防止、架線の軽量高性能化など全ての面目をも一新しつつある。

(JR東海名誉会長)

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