葛西敬之(22)国鉄改革法成立

民営化前日まで激務
僚友の顔見渡し、誇らしく

1986年7月の衆参同日選挙で、自民党は圧勝。この選挙の争点は「国鉄分割民営化」であり、選挙の結果は、国鉄分割民営化が国民の圧倒的な支持を得たことを意味した。

9月の臨時国会で、国鉄改革関連法案の審議が始まった。

法案の作成段階で難題となったのが、職員をJR各社と国鉄清算事業団へ振り分けるやり方についてどう書くかである。総裁の命令によって振り分けると書けば、憲法の職業選択の自由に抵触する。この難題を解決してくれたのが、法務課の法律専門家であった。「国鉄は法人格としては国鉄清算事業団と一体であり、職員は全員自動的に国鉄清算事業団に引き継がれる。分割により生まれる新会社は、必要な要員を採用して事業を行うのだから、これに応募し、採用試験を通って採用された職員のみが、新会社の社員となる」。彼はこの問題の唯一の現実的な解決策を示してくれた。「ああ、そういうことなのだ」と目からウロコが落ちる思いだった。

運輸省は、この職員の配置に関する条文が国会審議において問題になるのではと心配していたが、野党の関心事項は国鉄労働組合(国労)の存亡がほとんど全てであり、審議は順調に進捗し、11月に国鉄改革関連法は成立した。

一方、分割民営化に反対する国労の内部は大きく揺れていた。主流派は民営化賛成に舵を切ろうとするが、反対派の抵抗が強く、組織内をまとめられない。社会党や総評も仲介に入るが、その努力もむなしく、10月、静岡の修善寺で開いた大会をきっかけに、国労はついに分裂した。こうして分割民営化に反対する勢力は力を失っていく。

しかし、希望退職の募集や余剰人員の雇用対策は続き、新生JRに採用される候補者名簿の準備もある。私が局次長として率いていた職員局は、民営化前日の87年3月31日まで臨戦態勢だった。その激務の合間を縫って、前日に部下たちとささやかな慰労の会を催した。慌ただしく杯を上げ、ともに戦ってきた面々を見渡し、私は誇らしかった。

改めて思うのは、信頼して任せきることができる「僚友」の存在である。私は何人もの良き僚友に助けられてここまで来た。

その不可欠な一人が山田佳臣君(現JR東海会長)である。81年4月に経営計画室に赴任した時、そこに同日付で新幹線総局から異動となった彼がいた。第二臨調の瀬島龍三委員に国鉄の分割民営化を説き、三塚博自民党交通部会長に労使関係是正の必要性を説明するところから表裏一体でやってきた。

それから分割民営化の労務・要員対策を成し遂げ、JR東海の創業に取り組んで今日に至るまでの34年間、彼とはいつも相棒であった。私心がなく、揺らがず、大胆にして細心な彼に実務を任せきって、私は外向きに注力したのである。

もう一人、分割民営化の実現に不可欠の存在だったのが、当時職員局労働課長の南谷昌二郎君(元JR西日本会長)である。彼もまた無私の人だった。

分割民営化は「まさにこの時しかない」という絶妙なタイミングだったからこそ可能だった。「もう一度やってみろ」と言われても二度とはできない。時の運、人の縁、そして僚友たちがいて、JRは誕生した。

(JR東海名誉会長)

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