葛西敬之(18)「KIM」分断

反対派が圧力、干される
三塚氏の改革本は禁書扱い

1982年7月、第二次臨時行政調査会(第二臨調)が「国鉄分割民営化」の方針を打ち出したことで、分割に反対する国鉄の上層部は危機感を強めた。

83年6月、臨調の答申を受けて国鉄再建監理委員会が設置され、分割民営化の具体案作りが始まった。2年後に総理大臣に答申する予定であった。この委員会の鍵を握るのは、委員長で住友電気工業会長だった亀井正夫さん、委員長代理で臨調の担当部会長も務めた加藤寛さん、事務局次長として運輸省から来た林淳司さん――の3人だ。

職員課長になっていた私は、要員合理化施策を中心に全ての面で監理委員会の作業をバックアップした。

84年7月、三塚博さんが「国鉄を再建する方法はこれしかない」という本を出版し、87年の分割民営化を一層鮮明にした。これにも、三塚さんの要請を受け、私たちは水面下で協力した。国鉄労働組合(国労)は「三塚委員会の背後にはKIM(キム)がいる」という噂を流布し、国鉄内部でも公然の秘密となっていた。葛西(K)、井手正敬(I)、松田昌士(M)のイニシャルを並べたものだ。

そして三塚本は国鉄内で禁書扱いとなる。84年9月には、井手秘書課長が東京西鉄道管理局長に飛ばされるとともに、総裁以下の全重役によって、「分割民営化しなくてもやっていける」という独自の再建案作りが始まった。重役の勉強会は週1~2回のペースで進められ、12月末に「経営改革のための基本方針」が完成した。そのポイントは、(1)過去債務の肩代わりなど、政府助成を大幅に増やし、国鉄を民営化して特殊会社化する(2)要員合理化は進めるが、賃金は国鉄と同様、第三者機関の裁定に委ね、民間並みを確保する(3)分割はせず、赤字線は路線ごとに子会社化する、という虫のよい問題先送り案であった。国鉄首脳はこの案を向かい火として各界を回して歩き、手ごたえありとしていた。

この間、監理委員会との窓口役だった経営計画室の松田さんも85年3月、北海道総局に飛ばされる。若手も何人かが地方へ追放された。

「一番危ない」はずの私は、目の届くところに置いたまま直接抑え込んだ方がいいと判断されたようで、職員課長のまま据え置かれた。だが職員局の幹部打ち合わせに1人だけ呼ばれないなど、完全に干された状態が続く。

いよいよ7月末には、国鉄再建監理委員会による答申が予定されている。5月のある日、私は瀬島龍三さんを訪ね、国鉄内部の情勢を説明した。「監理委員会の答申が出ても、いまの体制では面従腹背のまま何も進まない。人事の刷新が必要です」と訴えた。

瀬島さんは「重役がある日全員いなくなったら、国鉄の輸送は大混乱するだろうか」と聞く。私は「重役がいなくたって、列車は毎日同じように動きますよ」と答えた。瀬島さんは「そうか。1カ月ぐらい止まるかと思っていたのだが」と、少し安心したような表情を浮かべた。

帰り際、その日に限って瀬島さんがエレベーターの前まで送ってくれた。意外に思った私に、瀬島さんはこう言った。「覚悟を決めてやりたまえ。国家は君たちを見捨てるようなことはしない」

(JR東海名誉会長)

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