浅丘ルリ子(11)ひばりさん

周囲に気配り、繊細な人
もらったお年玉、今も大切に

歌謡界の女王、美空ひばりさん。天才少女として終戦直後から芸能界で活躍。「悲しき口笛」「涙の紅バラ」「リンゴ追分」……。私にとってずっと憧れの存在だった。

1962年11月5日。そのひばりさんと日活の看板スター、小林旭さんとの結婚披露宴が盛大に執り行われた。私は長門裕之さんに付き添ってもらって披露宴に出席した。

挙式後、ある週刊誌から妙な仕事が舞い込んだ。なぜか私がリポーター役としてひばりさんと旭さんの新居を訪問し、お節介にも熱々の新婚生活をインタビューさせてもらうという特集記事だった。

その日、私は派手なヒョウの毛皮が付いた目が覚めるような真っ赤なコートを着て、2人の新居を訪ねた。ひばりさんはそんな私の服装を黙ってじっと見ていた。そして、ポツリと私につぶやいた。

「ステキなコートね。私も同じのが欲しいなあ……」

ひばりさんとプライベートで親しくなったのは東京・成城の石原裕次郎さんの自宅でのパーティー。「ひばりさんと旭さんの結婚祝いをしよう」と裕ちゃんが企画したのだ。ひばりさんは私の姿を見るなり、陽気な笑顔を見せながらこう声をかけてくれた。

「ねえ、踊りましょう」

音楽に合わせて2人はチークダンスを踊った。肌と肌を合わせて濃厚に……。ひばりさんは、私と旭さんが恋人同士だったことをもちろん知っていた。だから私に気を使っていたんだと思う。そんな2人の様子を旭さんは遠くから静かに見守っていた。

以来、互いにすっかり打ち解けて「のぶちゃん」「ひばりさん」と呼び合う仲になる。ひばりさんは私より3つ上。その後も末永く私を妹のようにかわいがってくれた。

ひばりさんは周囲に気配りする繊細な人。ある晩、赤坂のナイトクラブでお酒を飲んでいた。メンバーは私、ひばりさん、裕ちゃん、勝新太郎さん。するとひばりさんはその間、ずっと皿に山盛りの巨峰の皮をむき続けているのだ。丁寧に種まで全部取って。

男たちが食べやすいようにとの配慮だった。あの天下の美空ひばりがブドウの皮むきに専念しているなんて……。私もボサッと見ているわけにはいかず、隣でブドウの皮むきをせっせと手伝った。

ひばりさんとの思い出は尽きない。ひばりさんの自宅にお邪魔したし、ひばりさんが私の実家に来たこともある。写真はお正月に私の実家で撮った秘蔵のスナップ。大原麗子さんの姿も見える。

この夜、ひばりさんは私の実家で泊まった。でも、明け方になっても寝ようとしない。私は疲れたので先に休んだ。するとひばりさんがだだっ子のようにこうささやく。

「ねえ、のぶちゃん、のぶちゃん。もう寝ちゃったの」

私は黙って寝たふりをした。ひばりさんはそんな寝顔をしばらく見つめていたが突然、腕をつかんで私の小指にガブリとかみついてきた。寝たふりがばれていたみたい。

翌朝。ひばりさんは親戚の子どもたちにお年玉を配り始めた。そして最後になんと私にまでお年玉をくれたのだ。すぐに子どもたちにこう言い含めた。

「これは一生の宝物だよ。絶対に使うんじゃないよ」

私の引き出しの中には、ポチ袋に短い手紙を添えたひばりさんのお年玉が今も大切にしまってある。

(女優)

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