浅丘ルリ子(3)引き揚げ

海岸で鉄くず拾い日銭
麦飯だけのお弁当、真っ茶色

日本に帰国してまず住んだのが茨城県の大津港。祖母がいたので一緒に暮らした。家の前に清流が流れており、鉄橋から飛び込んだり、水泳したりして遊んだ記憶がある。

続いて千葉県の館山へ移転する。兵舎のような施設での仮住まい。モノがない時代。4姉妹を抱えた我が家は特に生活が苦しかったようだ。海岸に落ちている鉄くずを拾い、日銭を稼いだりしていた。

当時の私は新品の服など着たことがない。誰かのお古が当たり前。でも家には生活を楽しむ知恵があった。母は毛布を染め直してコートを仕立てるなどあれこれ工夫しながら生活を切り盛りしていた。

そんな貧乏生活を経験したせいか、今でも私は贅沢が好きになれない。高額な買い物をすると不安になって仕方がないのだ。だから安いものをたくさん買ってしまう。「安物買いの銭失い」。貧乏性はなかなか治る気配がない。

さて、小学校でどうしても恥ずかしかったのがお弁当の時間。自分の家の経済状況が露骨に出てしまうからだ。白米がなくて麦飯だけのお弁当はふたを開けると中身が真っ茶色。おかずが梅干しだけの茶色い日の丸弁当になる。

私はいつも粗末な自分のお弁当をふたで隠しながら食べていた。隣に座っていた女子の名前はよく覚えている。フミコちゃん。良家のお嬢様で弁当箱は白米がギッシリ。卵焼きや鶏の空揚げが入っていておかずも豪勢だった。

「ああ、おなかが減った。あんなお弁当が食べたいな」

私があまりに恨めしそうな目で見ていたからだろう。フミコちゃんは私のお弁当をのぞき込み、しばらく考えてから黙ってお弁当を分けてくれた。そんな優しいフミコちゃんの横顔が忘れられない。

館山では浜辺でよく海水浴を楽しんだ。だから4姉妹は日に焼けて真っ黒。ただ南国暮らしが長かったせいか日本の気候に合わず、なぜか体中に原因不明のブツブツができてしまって困っていた。

「わあ、浅井は汚いぞ。そばに寄るな。あっちへ行け」

学校の悪ガキたちが盛んにはやし立てる。でも味方になってくれる友人も多かったのでまったく平気。もともと陽気で楽天的な性格だから決してめげることはなかった。

このころ父は東亜同文書院の後輩が経営する海運会社を手伝った後、1949年の衆院選に出馬した前尾繁三郎さんの秘書になる。大蔵省出身同士のつながりだろう。満州で秘書官をしていた経験も生かせると考えたに違いない。

やがて通勤に便利な東京・神田に引っ越し、鎌倉橋の小ぎれいな屋敷に住むようになった。だが人生はうまく行かない。父は政界の体質になじめず、急速に体調を崩してしまう。生来、生真面目で律義な気質なので人間関係も重いストレスになったようだ。

とうとう議員秘書をやめざるを得なくなり、同じ神田の鍛冶町にあるガード下に住居を移した。神田駅西口から南へ約250メートル。電車のうるさい走行音がガタンガタンとひっきりなしに鳴り響いているような飲み屋街の一角である。

酔っ払いが行き交う薄暗い路地裏。2階建ての狭い長屋は時代から忘れ去られたように今もひっそりと残っている。何度も転居を繰り返してきた父と母と4姉妹の6人家族は、そんな下町のガード下のわび住まいで新たな生活を踏み出した。

(女優)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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