浅丘ルリ子(1)幼い記憶

満州生まれ、父は官吏
小唄に通じ粋だった祖母

(あら?どこかで聞いたことがある名前だわ……)

繁華街の映画館。「ラストエンペラー」を見ていた私は身を乗り出した。日本の元将校が清朝最後の皇帝、溥儀とこんな言葉を交わしている。

「陛下日本公使館へおいでください。お早く」

「ありがとう甘粕さん」

(そうだ、思い出した。甘粕正彦元大尉のことだ!)

名前だけは父から何度も聞いていたので間違いない。懐かしい響き。何年ぶりのことだろう。だが――。映画で描かれた甘粕さんの正体は、軍の謀略に関わり、奇怪に暗躍する「闇の支配者」だった。

私は複雑な思いでスクリーンをぼんやり見つめていた。

1940年7月2日。私が生まれたのは満州(中国東北部)の新京(長春)。本名は浅井信子。体重が1300グラムしかない未熟児だったそうだ。父の源治郎は満州国の高級官吏。経済部大臣秘書官などとして忙しく働いていた。

手元に1枚のセピア色の写真が残っている。数々の記章を胸に飾り、真新しい制服に身を包んだ24人の男たち。

「満州国修好経済使節団」

親日の傀儡国家、満州国をPRするために38年にドイツ、イタリアなど欧州を歴訪。独裁者ムッソリーニらとも面会した。その副団長を務めていたのが甘粕元大尉だった。

写真の最前列に座っているのが甘粕さん。すぐ後ろで緊張した表情で立っているのが私の父。満州国で2人はどんな仕事をしていたのだろう?だが父は詳細を一切語らずに76歳で他界してしまった。

かつてワイドショー「3時のあなた」の司会をしていた山口淑子さんと1度だけ番組で対談したことがある。

「山口さん。実は私は満州で生まれたんですよ」

「へえ、あなたもそうなの。それは奇遇だわねえ……」

山口さんは遠い目をしたまま穏やかに笑っていた。

女優「李香蘭」として活躍した山口さんは満州映画協会(満映)の理事長を務めていた甘粕さんが作り出した最大のスターだった。戦乱の激動期。おそらく大変なご苦労をされてきたに違いない。

満州時代。私も歌が大好きな幼女だった。3歳で赤痢にかかり入院したとき、懸命に童謡を歌って看護師から褒められたのを覚えている。

赤いべべ着たかわいい金魚おめめをさませばごちそうするぞ――

東京・下谷で生まれた父は瞳が大きな美男子。私は父の顔立ちによく似ていると言われる。祖父は相場などを手掛けた実業家。祖母は柳橋の元芸妓で小唄、舞踊、茶道などに通じた粋な女性だった。

やがて父は芝中学を経て中国・上海の東亜同文書院に留学する。家計の事情で学費が安い学校を選んだのだろう。語学や経済学に励む一方、中国劇で美少女役を演じるなど青春を謳歌していた。

帰国後、中央大を経て大蔵省入省。語学力を買われて33年に満州国に派遣される。初任地の奉天(瀋陽)で母ちょうと結婚。母は茨城出身の陽気な女性でよく鼻歌を歌っていた。

父の満州暮らしは10年。姉、私、妹の3姉妹に恵まれ、家では明るい歌声が響いていたそうだ。だが幼い私の記憶は鮮明ではない。

満州の空は世相を映すかのようにどんよりと鉛色に沈み、表情のない雲が広い地平線のかなたまで低く、重く垂れこめていた。

(女優)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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