松本紘(16)宇宙利用の視点

ロケットに機器載せ実験
科学衛星設計、多くの成果

宇宙を研究していて何か物足りなくなることがあった。宇宙プラズマなどの解明はいったい社会の発展や人間の生活に役立つのだろうか、という思いがぬぐえなかったのだ。基礎研究の重要性は理解していたが、私は宇宙を理解するだけでなく、利用する視点からも研究したいと考えた。

宇宙プラズマ研究に工学的要素を加味できるプロジェクトが米国留学時代に知った宇宙太陽光発電だった。宇宙空間で太陽光発電を行い、それを電波に変換して地上に送信、再び電気に換えて使うという壮大な構想である。米国では30億円もかけて調査し、データや論文が蓄積されていた。しかし、レーガン政権が時期尚早と判断し、研究が中断していた。私はいつか役立つかもしれないと関連報告書を日本に持ち帰っていた。

「ウサギ(米国)が寝ている間にカメ(日本)が追い越せる分野かもしれない」と思った。技術的な問題は多い。周囲の専門家には、発電エネルギーを電波に変換して地上に送る際、電波が相当減衰するので実現は無理ではないかとの見方が多かった。そこで理論計算をし、シミュレーションをして詰めると、エネルギーはそれほど減らない。

ロケット実験で確かめることを考えた。エネルギー伝送が可能なほど強いマイクロ波を宇宙プラズマに当てて反応を見るのだ。ロケット実験は様々な研究テーマを持つグループが実現を競い合う。観測装置を搭載できるのはロケットの先端のわずかな部分で、10組以上応募して3組程度しか採用されない。私は「将来絶対に必要になる」と強調し、何とか一部を確保した。

実験には神戸大に転じた賀谷信幸氏らが参加してくれた。しかし、1回目はコンデンサーの不良で失敗。2回目は別チームの機器故障の影響でデータが全く得られなかった。落ち込んだが、気の毒だという声が起こり、3回目はロケット1基を丸々もらってようやく成功した。宇宙空間でのマイクロ波エネルギー発射実験の成功は世界初で新聞にも取り上げられた。

助教授時代には「じきけん」に続く科学衛星計画の準備にも参画した。宇宙科学研究所の西田篤弘教授が中心になって企画し、日米共同プロジェクトになった「ジオテール」だ。磁気圏で起きている物理現象を観測し、データを送信してくる役割を担う。私はプラズマ波動観測のPI(研究責任者)になり、米国側のフレッド・スカーフ博士と連携して衛星の設計に当たった。

スカーフ博士は助手時代から名前を知っており、昔は理論系統の研究者と思っていた。しかし、その後、実験や観測でも第一人者とされる実績を上げた。年下の私を立てながら日本の衛星の欠点を会議で丁寧に説明してくれた。人柄もすばらしく、秘書たちにも人気があった。博士の指摘で修正した設計が後に観測が成功した要因になった。

スカーフ博士の後任になったアイオワ大のロジャー・アンダーソン博士や金沢大の長野勇教授らと協議を重ね、設計を詰めた。衛星打ち上げ前に機器の試験が始まると、私の研究室の小嶋浩嗣助手らの奮闘と、プロジェクトマネジャーになった向井利典・宇宙科学研究所教授の活躍が光った。ジオテールの打ち上げは1992年。観測が始まると、興味深いデータが次々にもたらされ、大成功だった。

(理化学研究所理事長)

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