松本紘(15)ISSS

「学校」創り研究者を育成
宇宙シミュレーション広める

プラズマ研究でのシミュレーション活用は計算機でプラズマ粒子の軌道追跡ができないかという問題意識から始まった。粒子は電子もイオンもバラバラになっている。それが相互に影響し合うから、どう動くかは複雑すぎて予測がつかない。一つ一つの電子の動きを方程式で表すと、1億の電子では1億の方程式を解かねばならない。人の力ではとても無理だ。

人工衛星やロケットを使った観測が進むと、理論とのギャップも見えてきた。観測と理論の間に橋を渡す役割を持つ新たな手法として計算機シミュレーションがあると考えるようになった。1970年代のコンピューターは大型機でも今のパソコン以下の性能しかなかったが、電子工学を学んで半導体の進化やソフトウエアの変化の速さを目の当たりにしていたため、コンピューターの性能はきっと向上するという確信もあった。

私の学位論文と同じような論文を書いていて知り合ったカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のマーハ・アブダラ教授、前田研究室の先輩の佐藤哲也氏も同じ認識を持っていた。宇宙シミュレーション学を発展させるにはどうするか。新たな国際組織の立ち上げを企画した。

もちろん当時の3人に国際組織をつくる政治力はない。アブダラさんの恩師で著名な研究者だったジャンドラン博士、大林辰蔵教授らに組織委員をお願いし、3人が実務担当者になった。1981年ころから準備を進め、若手研究者の育成も目指す「宇宙空間シミュレーション国際学校」(ISSS)が生まれた。常設の学校ではなく、一定期間世界の若手研究者らが集まって最新の成果を発表し合い、シミュレーションの理論や技術も学ぶ場である。

第1回はぜひ日本でやりたかった。大林先生に資金集めの方法をうかがうと「経団連に行って趣旨を説明し、企業リストを作成してもらいなさい」と指示された。交渉は得意で開催の意義を熱意を込めて強調した。協力企業の範囲とトップ企業の拠出額が決まると後は自動的に決まる奉加帳方式を目の当たりにした。

第1回のISSSは1983年、京都で開かれた。全世界から宇宙と核融合のプラズマシミュレーションの専門家、プラズマ理論研究者らが約200人集まり、充実した催しになった。宇宙プラズマの研究者とほぼ同時期に核融合プラズマの研究者もシミュレーションに着目しており、宇宙科学と核融合の研究者の交流が生まれていた。

ISSS開催には、プラズマの理論をしっかり学ばないままシミュレーションに走る若手が増えることへの懸念もあった。プログラムを作り、シミュレーションをすると、何らかの結果が出る。しかし結果に至るには原因があり、プロセスがある。そこを十分究明せずにいると、極端な場合、観測・実験とシミュレーションで違う結果が出たとき、プログラムのパラメーターをいじって結果を変えるようなことをしかねない。それではシミュレーション自体の信用もなくなってしまう。

こうした問題意識から学校では理論の重要性も強調した。ISSSは第1世代の私たちから大村善治京都大教授らの第2世代を経てその下の第3世代に受け継がれている。ここから多くのシミュレーション研究者が生まれ、世界で活躍しているのはうれしい。

(理化学研究所理事長)

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