松本紘(10)助手として

プラズマ研究に熱中
衛星装置、日の目見ず悔しさ

大学院を出たら民間企業に就職するつもりだったが、研究室の前田憲一教授から助手として大学に残り、京都大を中心に打ち上げ計画が進んでいた科学衛星を使った実験に関わるように言われた。教授の指示は絶対の時代。研究生活にも少し興味を持ち始めていたのでありがたく受けることにした。

私の役割は米国留学を終えられた前田先生の弟子、木村磐根先生について衛星実験を手伝うことだった。実験機器を開発する傍ら、宇宙で起きている現象や理論についての勉強を進めた。

空気や重力が当たり前にある世界で暮らしている私たちは、それがない宇宙空間をなかなか想像できない。地球はすごい速さで自転、公転しているのにそれを実感できないように。研究者は理論研究や観測、実験などを通じ、一般の人とは違った視点で宇宙を見詰めるようになる。

宇宙について学んで興味が深まったのがプラズマだった。物質の状態には固体、液体、気体がある。気体にさらにエネルギーを加えると、原子がイオンと電子に分離される。この現象を電離といい、電離された気体をプラズマという。地球の自然現象では雷やオーロラがプラズマで、太陽は中心部で核融合が起きているプラズマの塊だ。実は宇宙の物質のほとんどはプラズマの状態で存在している。

プラズマには分からないことが多かった。例えば宇宙空間のプラズマに向けて短い電波信号を発すると、全然違う周波数の電波のリアクションが起きてくるのだ。安定しているようで不安定な性質。プラズマの謎の解明に世界の学者が取り組み始めていた。当時、宇宙科学だけでなく、核融合の分野でもプラズマの研究が進み、インスタビリティ(不安定性)が流行のキーワードのようになっていた。

世界で誰も解き明かしてない問題ということで意欲が湧き、理論式をいじくり回して研究した。普通ならまず国内外の論文を渉猟して研究成果を調べるのだろう。が、私は多くの論文を読み込むより、自分なりに考えて思うままに動く方が性に合っていた。この時、理学部の研究者が「あなたの研究は最先端を行っている」と訪ねてきて、熱く議論したことを覚えている。

1つのテーマに熱中したと思ったらほかにも興味が広がっていく性癖も助手時代から現れていた。人工衛星の実験装置の開発、プラズマの理論研究のほか、プラズマの室内実験、当時ほとんど関心を持たれていなかった計算機シミュレーションにも手を伸ばした。これらはその後、私の主要な研究領域になっていく。

人工衛星に載せる実験装置の開発では日立製作所の戸塚工場(横浜市)に何度も出向き、振動や衝撃、熱への耐久性や作動のテストを繰り返した。打ち上げは1972年8月、鹿児島県の現内之浦宇宙空間観測所で行われた。直前の3日間ほどはほとんど徹夜で追い込みの調整をした。

打ち上げは成功し、人工衛星は電波観測衛星「でんぱ」と名付けられた。ところが、3日後、我々の観測実験が始まる前に衛星の機能が突然停止してしまった。どこかのチームの実験機器が放電したことが原因とされ、私たちにも疑いの目が向けられた。データを調べたら明らかに違うので疑いは晴れたが、何年も準備してきただけに、悔しさやむなしさは大きかった。

(理化学研究所理事長)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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