松本紘(9)大林先生

質問攻め、型破りの講義
器も視野も際立つスケール

丸顔につり上がった鋭い目。しわがれた高い声。一見、工事現場の親方のような風貌の大林辰蔵教授と出会ったのは工学部4回生の電子物理学の講義だった。教科書は使わず、自分の講義ノートもない。矢継ぎ早に学生に質問する。

「アボガドロナンバーって君、いくつかね」「電子の電荷は?」「質量は?」。即座に答えられる学生は少ない。答えると、「その数値は何を意味するか考えたことあるか」と次の質問が来る。

空の容器を指さし、「この中の空気を全部抜くとしよう。抜いた後、何が起きる?」と質問が来る。「ぺしゃんこにつぶれます」と答えると、「ああ。でもそれだけじゃ駄目だ。もっとミクロな動き、気体の分子はどう動くか考えてみなさい」と続く。

ほかの先生とは全く違う雰囲気を持ち、講義も型破りだった。毎回、質問だけでなく、学生を引きつける刺激的な話が飛び出してくる。学生は図書館に走って質問の意味を考えながら勉強した。

東京大出身の大林先生は前田憲一教授が京都大に引っ張ってきた宇宙物理学者である。前田先生とは別の研究室を構えていたが、両研究室は教員も学生も入り交じり、1つの大研究室のようになっていた。私は前田研究室の院生だったが、大林先生に呼ばれて毎週大量の論文読解の宿題を出された。

水曜日の午後、大林先生の部屋に行って論文の概要、理解できなかったり疑問に思ったりした点を報告する。私への特別な訓練だった。その後は先斗町に移動し、お酒をいただきながら楽しい昔話などをうかがった。宇宙への思いや人間関係、国際的な視野の大切さを情熱を込めて話されたことを覚えている。

修士課程の2年目、大林先生は東京大学に戻った。実はその際「松本君、東大に来ないか」と誘っていただいた。その時は民間企業に就職するつもりだったのでお断りしたが、その後も何のわだかまりもなくお付き合いいただき、目をかけていただいた。

大林先生は東京大、宇宙科学研究所の教授を歴任され、日本の人工衛星の開発をリードされた。人類の宇宙進出の必要性やそのための計画づくりなど、考えていることのスケールが大きかった。世の中を科学の力で変えたいと思っていた。一方、人情を大切にし人間的な魅力にあふれていた。「こんな器の大きな人がいるんだ」と感じた。

それまで私が抱いていた大学教授のイメージは頭でっかちで鼻もちならない偏狭な人物だった。それが、人間味があり視野も広い知的リーダーに変わっていった。私が大学に残る選択をしたのは、大林先生の影響が大きい。

「世界には君たちより頭のいい連中がごまんといるんだよ。でも頭がいいだけではたいした仕事はできない。世界全体を見て、アイデアで勝負しなきゃいけない」。大林先生は酒場談議でよくこう話されていた。私が京都大の助手になり、研究テーマを手探りしていた時期に「いつまでも1つのテーマではないだろう。世界は広い。すべきことはいっぱいある」と視野を広げるよう助言していただいた。

大林先生は1992年、65歳で亡くなられた。奥様から先生ご愛用のべっこう眼鏡を形見としていただいた。前田・大林研究室に在籍した当時の先輩や同輩らとは「同釜会」という同窓会を組織しており、毎年旧交を温めている。

(理化学研究所理事長)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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