川村隆(26)共同出資

火力発電三菱重と統合
似た企業文化世界を視野に

日立復帰から1年後の2010年4月に会長職に専念することになった。会長と社長の兼務は、緊急事態では威力を発揮したが、業績が回復してくると、例えば国内と海外の案件を同時に進めることも多くなり、会長と社長で業務を分担しないと機会損失が生じると考えたからだ。社長には中西宏明副社長が昇格。赤字の続いた米国のハードディスク駆動装置事業を立て直した豪腕の持ち主で、その後は彼と二人三脚で会社の指揮を執った。

これを機に「事業の集中と選択」の方針にも弾みがついた。なかでも最大のものが三菱重工業との火力発電設備事業の統合だ。これについてはさまざま世間の関心を集めたが、重電の技術者として30年のキャリアを積み重ねた私にとっても、あるいは日立製作所という企業にとっても、歴史を画する転換点だった。

事の発端は私と三菱重工会長だった佃和夫さんとの会談だ。二人でいろいろ語り合う中で、火力ビジネスの先行きについて認識が一致した。両社は戦後営々と技術や事業ノウハウを磨いてきたが、世界トップの米ゼネラル・エレクトリックなどとの差を埋め切れていない。さらに後ろを振り返ると、母国市場の電力需要の急拡大を背景に中国勢も力をつけ始めた。

東日本大震災による原発事故や電力自由化の加速で、発電設備の買い手である電力各社の経営にも変化が出てきた。日立や三菱重工の重電事業が本当に世界の列強と互角に戦えるか、容易ならざる状況であった。

そこで三菱重工が65%、日立が35%出資する共同出資会社を設立し、両社の火力事業を統合することにした。「三菱重工が運転席で日立は助手席。これでいいのか」。そんな議論が電力システム社や日立事業所だけでなく、多くの関係者から湧き起こったが、粘り強く説明し、最後は納得してもらった。

私たちの火力発電事業を世界で成長させるには、この選択肢しかない。その後も世界ではGEによる仏アルストムの部分買収など再編の風が吹いており、三菱重工との統合がなければ「日立はマイナープレーヤー」という感覚が強まっていただろう。

「なぜ三菱重工なのか」とよく聞かれるが、結婚と同じでやはり相性がよかったのだ。両社とも純朴な企業文化がよく似ている。ともにモノづくりに情熱を燃やし、巨大な鍋釜づくりが得意だ。両社の間で2000年に統合した製鉄機械事業は、統合会社の初代社長になった宮永俊一さん(現三菱重工業社長)の活躍もあって大きな成功を収めていた。それも火力統合へ背中を押した。事業統合の発表は12年11月、統合会社の三菱日立パワーシステムズ(MHPS)の発足は14年2月だ。

私が工場長を務めたこともある日立事業所を訪ねると、淡いグリーンとクリーム色のユニホームが入り交じって働いている。前者は日立の社員で、後者がMHPSの社員だ。人事交流の一環として、三菱重工の重電部門の拠点である兵庫県の高砂から北関東の日立まではるばる単身赴任してきたMHPS社幹部もいるし、その逆もある。事業再編を決断するのは経営者だが、その成否を左右するのは現場の社員の踏ん張りである。

(日立製作所相談役)

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