川村隆(23)事業リストラ

赤字のテレビから撤退
従業員や地元の経済に配慮

私が現役復帰する前年度の2009年3月期決算で日立は日本の製造業最大とされる7873億円の最終赤字を計上した。1日当たりの赤字額は21億円で、時計の針が1時間進むごとに1億円弱の赤字を垂れ流している計算だった。社長室に1人座っていると、おカネに羽が生えて、金庫から窓の外に飛び出していくような気がした。

早急にやるべきことの一つは赤字事業のリストラだ。社長交代会見では「遠ざける事業と近づける事業を峻別する」と述べた。「遠ざける」の本当の意味は「撤退する」とか「売却する」。最初から言葉が強すぎるとみんなが驚くので、「遠ざける」という婉曲話法を採用したが、私と5人の副社長は万難を排して事業構成の入れ替えを進める覚悟だった。

どの事業をやめて、どれを強化するかは前回紹介した「100日プラン」でひそかに決定した。副社長のだれがどの事業の撤退に責任を持つのか割り振りも決めた。だが、決定と実行は別である。長年赤字続きのテレビ事業から撤退することに異論はなかったが、工場の後始末や雇用をどうするかで散々苦労した。

テレビは海外では中国やメキシコ、チェコで生産していたが、閉鎖または他製品の工場に転換した。販売店への補償など一定の費用はかかるが、腹を固めれば迅速な撤退が可能だった。当初の契約がしっかりしていたおかげだ。

やはり難しいのは国内事業の整理である。長期雇用を前提に仕組みが作られている日本では、いきなり工場を閉めて社員を放り出すわけにはいかないし、地元経済への影響も考えなければならない。

長い交渉の末に宮崎県国富町にあったプラズマパネル工場は太陽電池メーカーに売却し、千葉県茂原市のテレビ向けの液晶工場はパナソニックに譲渡、さらに岐阜県美濃加茂市にあったテレビの組立工場は、金型などを製造する工場に転換した。引き続き日立での勤務を希望する人には再教育をするなどして制御システムなど成長が期待される分野へ転進してもらった。

最終的に日立がテレビの自社生産を終了したのは12年8月で、撤退を決めてから実際の撤退までに3年4カ月を要したことになる。時間がかかりすぎと見る向きがあろうが、「市況が回復すればよくなる」といった甘い観測に頼って事業を続け、結果として立ち行かなくなるよりも、従業員にも地元経済にも配慮したよい判断だったと思う。これら一連の仕事では現場の方々に非常な苦労をかけた。

経営者の重要な仕事の一つはそれぞれの事業が峠を越えたのかどうか、もし下り坂だとすればいつどんな形で店じまいするのかに常時思いを巡らせることだ。非常時ばかりでなく、平時でこそこの作業が大切だ。それを怠って、命脈の尽きたゾンビ事業を社内に残しておくと、それが他の事業の勢いをそぎ、ついには企業が丸ごとゾンビ事業の集団に変わってしまう。

米ゼネラル・エレクトリックは1980年から事業の入れ替えを続けてきた。米IBMも90年代初頭の大赤字を受けて、事業構成の見直しに踏み切った。米国の先達企業と日立との時差は20年から30年もある。私たちはようやく競争のスタートラインに立ったところにすぎないのだ。

(日立製作所相談役)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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