川村隆(14)姫6

火力発電
自前で試みる不具合多発でボーナスなし

入社してちょうど10年後の1972年に主任技師(課長職)に昇格した。その頃手掛けた思い出深いプラントが関西電力姫路第2発電所の火力6号機、略して「姫6」だ。

当時の日本は高度成長のさなかで、電力供給は常に逼迫気味。関西電力によると、1970年のピーク時には電力予備率がわずか1.9%になったという。クーラーが家庭に普及し、そこに猛暑が重なって、電力の使用量が跳ね上がったのだろう。

予備率1.9%といえば、一歩間違えば電力供給がストップしかねない状態だ。原子力発電所が止まった東日本大震災以降でもここまで予備率が下がる事態はほぼ皆無。そんな状況の中で、供給力拡大の切り札として関西電力が期待したのが、出力60万キロワットの姫6プラントだ。

日立にとっても姫6には特別な意義があった。もともと国産技術を標榜した日立だが、火力発電については米ゼネラル・エレクトリック(GE)から技術導入して、戦争中の遅れを取り戻す作戦だった。だが、そろそろ本道に戻る時期ではないか。そんな機運が社内で高まり、関西電力の了解も得たうえで、姫6の発電機は自主技術、自主設計でつくることになった。

私はその担当の主任技師になり、渡辺孝君や工藤悌二郎君といった優秀な設計技師や製造現場のチームの協力も得て、何とか完成までこぎ着けた。ところが、実際に設備を納入して、運転してみると、うまくいかない。部品の運転中の不均一な変形から回転軸が振動してしまい、稼働が安定しないのだ。「このままでは電力供給が危うくなる」と背筋の凍る思いだった。

すぐに技術者何人かでチームを組んで、姫路の旅館に泊まり込んで対策に奔走した。夜中に不具合が発生して、関西電力から電話があり、寝ぼけ眼で駆けつけたのも1度や2度ではなかった。こうして顧客にもいろいろ迷惑をかけながらも、何とか対策が完了し、姫6は73年11月に営業運転を開始した。

この設計不良については、その後社内で責任を問われた。日立の始末書は一種独特で「どんな処分をされても、お受けいたします」と巻紙に毛筆で認める。そして首を洗って待っていると、「その年のボーナスゼロ」の処分が下った。私の上司だった庄山悦彦部長(後に日立の社長)も何らかの減給処分を受けたと思う。妻が「夜も寝ないで働いて、なんで給料が減るのか」と文句を言っていた。

ただ、対策完了後の姫6は順調に稼働し、関西の電力供給に大いに貢献した。最初は重油・原油を燃やしたが、その後は設備を改良し、今は天然ガスを燃やしている。

この姫6は本来なら今年10月で稼働を終え、廃止される予定だった。稼働開始から42年間、昼夜働き続けてついにリタイアするのだ。私自身も2014年に日立の会長から相談役になり現役を退いた。いろいろ苦労した姫6もほぼ同時期に退役することに一抹の感慨があった。

ところが、震災による原発停止で関西電力の供給力が足りなくなり、姫6の引退が5年延期され、2020年度まで稼働することになった。最近姫路を訪ねて、発電所を見学する機会があった。懐かしい姫6に「もう少し頑張れ」と言葉をかけた。

(日立製作所相談役)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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