川村隆(13)電力設計部

発電機作りにやりがい
学術的な成果、米学会で発表

日立製作所に入ってから19年間所属したのが日立工場電力設計部だ。電力会社向けの発電機などをつくるのが仕事で、挑戦しがいがあり、ロマンを感じる職場だった。そこで私たち技術者がどんなことに取り組んでいるのか、一般の読者にもイメージしてもらえるよう、電気工学の初歩を少し説明したい。

私たちが毎日使っている電気は「交流」と呼ばれ、一定の周期で電気の流れる向きが変化する。富士川と糸魚川を境に東日本では1秒間に50回、西日本では60回変化し、これを周波数(ヘルツ)という。この周波数を生み出す源泉がタービンの回転。タービンはローター(回転軸)に無数の羽根をつけた、最大直径が3メートルにも及ぶ「巨大かざぐるま」のごときもので、重さ50トン以上に達するが、それが1秒間に50~60回もうなりをたてて回転するのだ。当然速すぎて肉眼では見えない。

加えて、モノが回転すれば、必ず軸の振動が発生するが、その振動をミクロン(1ミリメートルの1千分の1)単位に抑えないといけない。振動をうまく制御できないと、タービンが台座から吹っ飛ぶような大事故が起きるからだ。見上げるような巨大な装置をつくりながら、一方では半導体並みの微細な精度を要求される。マクロとミクロの両方の技術が必要な、エンジニアとしては大変やりがいのある仕事だった。

もっとも電機メーカーの技術者は地味な仕事だ。納品した機械が不具合や故障を起こせば、操業の終わった夜中に工場へ行って、機械の下に潜り込んで何時間も費やす。お客さんに叱られながら、何度も現地へ出張し、対策を打たないといけない。それを50回も100回も繰り返すうちに、技術の勘所がわかり、その後は飛躍的にいい仕事をするようになる者がいる。

これは「能力の覚醒」とも呼ぶべき現象で、私自身も社内でそんな例を多く見てきた。「エンジニアの地道な努力が私たちの強みの源泉」というのが、創業者の小平(おだいら)浪平以来の一貫して日立を流れる経営哲学である。

こうした日々の改善活動に加えて、技術の前線を広げるような大仕掛けのプロジェクトにも取り組んだ。あるとき設計部長の西政隆さんの指示で発電機の熱損失を最小化するために、大型コンピューターを使って3次元の電磁界解析を始めた。

最初に仮説を立て、モデルや実験を駆使して、仮説の正しさを検証する。そんな仕事には大学院の研究室にいるようなアカデミックな雰囲気も漂った。

足元の製品完成のための膨大な仕事に追われる一方で、こうした学術的な仕事に取り組むことは、大いなる活性化の源泉になった。私にとって電力設計部は非常に相性のいい職場だったと思う。

こうした研究成果を英語の論文にまとめて、米電気電子学会(IEEE)の発行する有名ジャーナルに発表したことがある。それを受けて、米ニューヨーク州の州都アルバニーを訪ねて講演し、世界各地から集まった技術者と歓談した。1970年ごろのことだ。地味な仕事の多い技術者生活の中で、「自分の仕事が世界から認められた」と誇らしく感じる、数少ない瞬間だった。

(日立製作所相談役)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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