川村隆(6)キャンプ友の会

初めて「内地」を見て歩く
科学振興の機運東大理系へ

高校は北海道立札幌西高校を受験して、合格した。札幌で一番の進学校は札幌南高で、こちらを薦める人もいたが、西高には愛着があった。戦前には祖父の文平が西高の前身である札幌二中の校長を務め、その後父も英語教師として奉職したことがある。歩いて通える距離でもあり、ためらいなく西高を選んだ。

人生の転機が訪れたのは、西高1年生の夏休みだ。15歳の私は香川県小豆島で開催される全日本学生キャンプ友の会に応募した。それまで北海道から一歩も出たことがなかったので、「内地」を一度見てみたかったのだ。「二十四の瞳」で有名な小豆島の土庄にキャンプを張り、日本中から集まった高校生で瀬戸内海の夏を大いに楽しんだ。

北海道への帰途、東京にも立ち寄り、銀座や皇居、山手線や地下鉄を見て歩いた。どの街にも人がわき出すように歩いており、人間の多さに圧倒された。戦争の傷跡が残ってないか、いろいろ探したが、東京の街は見事に復興しており、つい10年前には空襲であたり一面焼け野原だった痕跡はどこにもなかった。

この旅行で初めて内地を見て、同世代の多くの仲間と話をし、大学は「北海道ではなく東京にしたい」という気持ちがわき上がってきた。それまでは父が北海道大学の教授でもあり、自分も北大に行くものだと思い込んでいたが、気持ちがクルリと変わったのである。

帰って父母に言うと、意外なことに「そうか、それなら頑張ってみなさい。大学では寮や奨学金も活用するんだよ」と言われ、あっさり許可が出た。希望がかなったうれしさの中で、東京大学をめざそうと考え始めた。

専攻については理系をめざすことにした。私はもともと人生の早い段階で「理系」「文系」に分けるのには反対で、人間はその両方にまたがって仕事をし、生きていくはず、というのが持論である。余談になるが、日立製作所の社長は歴代理系出身者が占めてきたが、文系の人でももう少し科学技術の動向に関心や洞察を持ってくれれば、社長が務まる、とも言ってきた。

しかし、大学受験では理系か文系かどちらかを選ばないといけない。いろいろ考えたが、最終的に工学部や理学部に進む理科1類を受験すると決めたのは、多分に時代の空気の影響だったと思う。

1949年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞すると、「日本を早く復興させて、欧米に追いつくためには科学技術の振興が一番大事」という機運が日本全体で盛り上がった。弱冠18歳の私も「それになにがしか貢献できれば」という気持ちで、理科の門をたたくことにした。

といっても田舎の高校生のことで、今から思えばのんきなものだった。高3の春ごろには、北大の大学院生に講師をお願いして、受験にまったく関係のないドイツ語の勉強をしたりした。スケートにも熱中した。受験で上京する1週間前に、中島公園の池に出かけて「これで滑り納めだ」といいながら、滑った記憶もある。受験科目の化学は高校3年生で初履修。一通りの授業が終わったのが高3の11月ごろで、受験まであとわずかだった。こんなドタバタで合格したのだから、よほど運がよかったに違いない。

(日立製作所相談役)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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