甲子園でサヨナラボーク 林清一氏

宣告した審判の心中語られなかった敗戦投手への“心配り”

青春のすべてを甲子園という夢の舞台にかける球児たち。勝負である以上、どんなプレーにも判定が伴う。大舞台だからこそ、ではなく甲子園に縁のない高校同士の練習試合も、日本中が注目する場面でも、普遍のジャッジがあってこそ高校野球は成り立つ。1998年夏の甲子園大会2回戦。豊田大谷と宇部商は延長十五回、史上初のサヨナラボークによる豊田大谷の勝利という幕切れとなった。主審を務めた林清一氏(59)に試合を振り返りつつ、高校野球の審判哲学を語っていただいた。

100年の歴史で今のところ唯一のジャッジは、異様な雰囲気の中、“究極の当然”を求めた結果の産物でもあった。

人によるかもしれない。ただ、林氏は「下調べをしない」をモットーに、ゲームに臨んでいた。

「コントロールがいいとか、三振記録を持っている、という予断が入ると際どい球のジャッジがぶれるかもしれません。人間には弱さもありますから」

完璧でないことを認め「見たまんまで判断する」。長年、自らに言い聞かせてきたことだった。

第2試合。グラウンドは38度。直後に横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)の試合が控えており、「あの時点で超満員でした」と振り返った。

五回終了時、水を飲んだ。試合は延長へ突入。「水分、差し入れを期待したんですが、来なくてねえ」と笑うが、その時は笑い事ではなかった。塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続けた。

十五回裏。豊田大谷は無死満塁の絶好機を迎えた。200球を超える球を投げてきた宇部商のエース・藤田修平はこの場面で、林氏の想定になかった動きをした。

「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないように、あらゆることを想定するのですがあの時、ボークだけは考えてもなかった」と振り返る。

「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」という林主審の眼前で、プレート板に足をかけた藤田はセットに入ろうとした手を「ストン、と落としたんです」。

林氏は迷わず「ボーク」を宣告、サヨナラゲームとなった。「5万人のスタンドが一瞬、静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」とその瞬間を振り返った。

もし藤田が足を外していれば、ボークではない。「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」とも思った。もちろん現場やテレビなどを見た同僚、関係者から「間違いなくボークだった」の確認が入った。

それでも直後の会見では、報道陣から「なんであんなところでボークを取るんだ」、「注意で終わらせられないのか」といったヒステリックな声も飛んできたという。

この場を収めたのは、ベテラン審判員の三宅享次氏。「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。

当時は、四角四面の冷徹なジャッジと感じる向きもあったかもしれない。しかし-。

通常、試合終了時は野手のミットやグラブに送球(投球)や、サヨナラなら打球が収まる。しかしこの試合は、投手・藤田の手にボールが握られたままだった。

甲子園の、暗黙のルールとして、ウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将にプレゼントされる。が、林氏は2年生投手の藤田が渡そうとしたボールを「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と、受け取らなかった。勝った豊田大谷にはポケットから出した試合球を手渡した。

試合を2時間以内で終わらせるため、ひっきりなしに選手を急がせ、機械的に判定を下すのが審判員ではない。

とっさに、ウイニングボールを敗戦投手に手渡した林氏。他の試合中にも、さまざまな隠れたやりとりはある。

終盤、つるべ打ちに遭った投手。投球数は増え、何度も三塁、本塁のバックアップに走り肩で息をしている。本塁付近にいれば「頑張れ」と声をかける。

大敗の終盤、代打に背番号「18」の選手が出てくる。明らかに足が震えている選手も少なくない。こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて、汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間を取ってやる。

「甲子園は、誰にとっても一世一代」。少しでもいいプレーをさせてやりたい。林氏は「そういう時のために、通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」という。

血の通ったルールの番人があればこそ、甲子園で球児は躍動する。