萩本欽一(31)えっ、最終回?

「身内」の支えで貫く現役
73歳、新たな企画挑戦続く

うわっ、最終回。まだ書きたいことがあるけれど、これで打ち止め。読んでいただいてありがとうございます。

まず両親のこと。おふくろは2008年にあの世に旅立った。101歳まで生きてくれた。とうとうでっかい家は建ててあげられなかった。でも気丈に穏やかに天寿を全うした。おやじは1973年、72歳で逝った。羽振りのいい時期は短かった。自分のペースで生き抜いた。晩年、小遣いを渡すと、いそいそと競馬場に通った。最後まで大当たりには縁がなかったようだ。

澄子さんと僕は3人の息子に恵まれた。75年に生まれた長男の一童に続いて78年に越史ができた。80年に誕生した三男は難産でぐったりして生まれ、苦労を征服するようにと征九郎と名付けた。3人とも元気に大きくなった。

一童は浪人中、「大学を出て銀行に勤めたい」と言うので、僕は「大学行って無駄だったな、と思うような仕事しなよ」と助言した。しばらくすると「俺、大学行かないで弁当屋で働くよ」。「それ、最高だね」と僕は褒めた。弁当屋さんで汗をかきながら人間や社会を見るんだ。

「なんでそうなるの!!」と澄子さんはあきれ返った。「あんたの影響で3人ともわけのわかんない人生送ってるじゃないの!」と怒ってる。越史は勤め先で「萩本君、あなた、ひょっとして欽ちゃんの息子か?」と聞かれると辞めちゃう。征九郎は「どの国で働くのがいいのか」を見きわめるためにアルバイトで金を貯めて世界のあちこちで働いては帰ってくる。

越史が最近、会社をつくった。日本で働くのが一番と悟ったらしい征九郎が手伝うという。一童は弁当屋さんをやめて新しい道を模索している。「自分の力で夢をつかみ取れよ」とエールを送っているけれど、内心では「もうしばらく辛抱しろよな」と思っている。おやじの僕がまだまだ運を使うので、おまえたちにはなかなか運が向かないぞ。

「身内」でもうひとり、佐藤宏榮に感謝しなくちゃいけない。僕が浅井企画から71年に独立して萩本企画をつくったときからのマネジャーで、85年に佐藤企画を立ち上げた。3つの芸能プロダクションは一心同体。ばりばりテレビでがんばってたころ、僕はテレビ局のスタッフと直談判で番組を企画、制作した。自分の責任でいい番組をこしらえる決め手だった。この「欽ちゃん方式」をずっと陰で支えてくれたのが佐藤だ。

体の切れも落ちてきたし、舞台も打ち止めかな、と考えて今年3月、明治座で1カ月やった座長公演「ほめんなほれんなとめんな」は「THE LAST」と銘打った。

でも、これからも現役でやりますよ。僕がつくった放送作家集団、パジャマ党の大岩賞介、詩村博史、大学を出てから弟子入りしてきた君塚良一、パジャマ党の弟分、サラダ党の鶴間政行、益子強……。放送作家や脚本家として活躍する彼らの有志が定期的に集まって「73歳の大将(僕のこと)をどう生かして番組をつくるか」を相談中。うれしいです。

実は近々、久々に僕の企画が動き出す。この連載を読んでくださったみなさんに打ち明けたいのはやまやまだけど、まだ教えないよ~。

(コメディアン)

=おわり

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。