萩本欽一(30)二郎さん逝く

2人の舞台心の金字塔
ありがとうと消えぬ寂しさ

コント55号で二郎さんとやったコント、懐かしいなあ。

たとえば「結婚コンサルタント」。二郎さんが結婚相談所にやって来て、担当者の僕がいろんな豪華メニューを紹介する。披露宴の料理もフルコースだ。二郎さんは「きんぴらごぼうは出ますか?」とかなんとかせこい質問を連発。

僕が「豪華船から飛行機で新婚旅行に行きましょう」と持ちかけると、二郎さんは両手を広げ「ブ~ン」と飛行機が飛ぶまねをする。「いきなり飛ぶな!」と叱りつけて、管制官に連絡しろと命じる。

二郎さんが「飛びます、飛びます」と報告して飛ばそうとするんだけれど、僕がいちいち難癖をつけてやり直させる。二郎さんは舞台を駆け回って汗だく。最後は疲れ果てて「飛びます」が言えなくなって「とひやす、とひやす」と言いながら気を失う。二郎さんがうまいから笑える。

出世作の「机」「マラソン」「帽子屋」……。ふたりが体当たりで演じた初期の映像は残っていない。お客さんを笑わせたい、有名になりたい、お金を稼ぎたいと目の色を変えて動き回ってた僕たちの心の金字塔だよね、二郎さん。

坂上二郎さんは2011年3月10日に逝っちゃった。享年76。脳梗塞だった。翌日、東日本大震災が起きた。

悪いと聞いて栃木県の病院を見舞ったとき、「二郎さん、死んじゃいやだよ。僕の葬式誰が出すのよ」と言った。「欽ちゃんの葬式は僕が出すからね」が口癖だった。二郎さんは「大丈夫。僕が出すよ」とにやっと笑った。

ふたりで舞台に立とうと決めたあの日、二郎さんは「欽ちゃんの好きなようにやりなよ。ついて行く」と言った。でも僕が頼りにしてたのは二郎さん。芸人魂は僕なんかよりずっとすごかった。

コント55号が人気絶頂のころ、紅白歌合戦に呼ばれた。4分と言われていた持ち時間が番組の進行とともに減っていき、出番直前に1分になった。気が小さい僕は1分で律義に引っ込んだ。でも二郎さんがなかなか戻ってこない。引っ込む途中で2度も派手に転んで大受けに受けていた。

「二郎さん、怒られるよ」。舞台袖に帰ってきた二郎さんに言うと、「家に帰ったら時間通り『ゆく年くる年』が始まるよ」と平然としていた。

芸の力と根性で映画、舞台、テレビで活躍した。人情味あふれる性格俳優として評価され、少年の日の夢をかなえて歌もヒットさせたよね。

コント55号は活動は休んでいたけど解散したわけじゃない。一緒に時々、テレビや舞台に出た。「二郎さん、きょうは『マラソン』やろうよ」「ほいきた」。打ち合わせなんかしなくても息はいつもぴったりだった。

東京の明治座でも何度か二郎さんと共演した。あるとき、二郎さんが楽屋でしみじみと「僕さ、心の底から笑えたのは欽ちゃんと一緒にやってたときだけだった」と言った。それを聞いて僕もしみじみした。

そのあと、ゴンドラに並んで座って舞台に降りながら二郎さんが「僕にコント書いてよ」と言うので、「そのうちね」と答えると「ケチ!!」。書けばよかったな。

二郎さんの死でコント55号は45年間の活動を終えた。二郎さん、ありがとう。僕、今でも寂しいよ。

(コメディアン)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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