萩本欽一(27)人気番組連発

ドラマ枠に笑いで挑む
超多忙、軒並み視聴率30%超

結婚発表を済ませて「さあ、仕事がんばるぞ」と気合を入れ直した1976年夏、知り合いのNET(現テレビ朝日)のプロデューサー、皇(すめらぎ)達也さんが世田谷の我が家にやって来た。「上司に言われてね。でも仲が良くても頼めないことってあるよなあ」と言って帰ろうとする。

胸の内を察して僕は「やるなら夜9時台のバラエティーかな」と言った。皇さんは「了解取るよ」と元気良く帰って行った。「欽ちゃんのどこまでやるの!?」は76年10月、そんないきさつで始まった。

水曜日の夜9時から。ドラマの時間帯で僕にとってレギュラー番組で初めての挑戦。「ドラマの要素を入れないとスポンサーが付かない」との局の要望で、番組スタッフやパジャマ党と知恵を絞った。

茶の間のセットをメーンにして僕がお父さん役でお母さん役は女優の真屋順子さん。長男の見栄晴、のぞみ、かなえ、たまえの3姉妹、それにゲストやいろんな登場人物がおりなすホームバラエティー。夜9時台は各局とも強力な看板番組を並べている。でも「欽どこ」は出だしから快調ですぐに視聴率は30%を超えた。

86年9月まで続いた、この番組でもステキな出会いがいっぱいあった。

解散したキャンディーズのスーちゃん(田中好子さん)が、ミキちゃん(藤村美樹さん)と自宅を訪ねて来たのは80年の春先。難病と闘う弟さんがスーちゃんの芸能界復帰を待ち望んでいるという。彼女は迷っていた。僕は言った。「芸能界でもう一回、1等賞をとって弟さんを喜ばせてあげなよ」。その年の5月に復帰宣言、初めてのテレビ出演が「欽どこ」だった。

いい女優になったよね。90年に「黒い雨」で映画の賞を総なめにしたとき、トロフィーを見せに来てくれた。「ほんとに1等賞とったんだね」と言ったら、涙を流しながらにっこりした。スーちゃん、逝っちゃったなあ。

82年、ケガから復帰した歌手の細川たかし君が久々に出演した番組が「欽どこ」。ゲストなのに早々とやって来て「あ~、テレビっていいな」としみじみと言った。感動した僕が「来週、予定空いてる?」と聞くと「ず~と空いてます」と言うので準レギュラーになってもらった。

歌謡教室の先生役で突然来てコミカルな動きを織り交ぜながら、あの美声で歌うのだけれど、僕が途中でストップをかける。「最後まで聴かせて」という声が番組に殺到した。それが「北酒場」。その年のレコード大賞を取った。

ここで訂正。前川清君とのコンビはコント54号でした。

「欽ドン」「欽どこ」で多忙。そこへTBSから番組の依頼をいただいたがお断りした。さすがに中身に自信が持てなかった。でもプロデューサーの増井昭太郎さんが食い下がった。「約束守ってください!」

増井さんと「55号決定版」をやったとき、「ドラマのTBSでゴールデンタイムにお笑いをやりたいんです。出てもらえますよね?」と頼まれて「出るよ」と約束していた。

金曜午後9時からの「欽ちゃんの週刊欽曜日」は82年10月、こうして始まった。悪戦苦闘したあげくにひねり出した「欽ちゃんバンド」が当たって、視聴率はなんとか30%に届いた。

(コメディアン)

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