萩本欽一(23)パジャマ党

若者集めてコント集団
体力検査で選抜 何も教えず

二郎さんも僕もテレビを中心に駆け回っていた。たくさんの番組を夢中でこなし、「欽ちゃん」のイメージは定着した。でも全速力で走りながら考え続けていた。「このまんまでいいのかな?」

「アメリカでコメディアンになりたいんです」と打ち明けた相手は日本テレビのプロデューサー、井原高忠さん。僕が尊敬するテレビマンだ。コント55号が売れ出したころ、あこがれた番組は1965年に始まった「九ちゃん!」。主演は坂本九さんでディレクターが井原さん。

歌とコントで織りなす、おしゃれなバラエティー。「ああいう番組がつくれたらな」と思った。小心者ほど時に大胆な所業に出る。日テレに電話して、よく知らない井原さんにつないでもらった。

「井原です」「あの~、萩本欽一と申します」「おっ、欽ちゃん。何だい?」。気さくな口調に勇気を得て「あんなすごい番組、どうやってつくってるんですか?」と聞くと、「千鳥ケ淵のフェアモントホテルに来なよ」と言う。

ホテルでは井原さんと放送作家の人たちが番組の構成やコントを考えていた。井上ひさしさん、中原弓彦(小林信彦)さん、山崎忠昭さん、城悠輔さん、河野洋さん……。超豪華メンバーだ。こういう才能が知恵をしぼって「九ちゃん!」をつくってるんだ。びっくりした。

そんなことがあって、悩みや迷いがあると井原さんのところに行くようになった。アメリカ行きの話をすると、井原さんは「欽ちゃん、向こうで誰かに呼ばれてるの?」と聞くので首を振った。第一、英語が全然しゃべれない。

「アメリカのショービジネスは厳しいぞ。コメディアンだって世界中から集まって競争してる。メジャーになるには骨が折れるよ」。現地の事情に詳しい井原さんは率直に言ってから「日本のテレビで欽ちゃんにしかつくれない番組をつくるんだ。がんばればできるよ」と励ましてくれた。

「欽ちゃんの名前が付いた、いい番組をつくろう」とファイトがわいてきた。超多忙ですぐには動けないけど「焦るな」と自分を戒めた。2歩下がってじっくりやろう。そう考えて立ち上げたのが「パジャマ党」。

若者を集めてコントを考える放送作家集団とコメディアン集団をつくるのだ。テレビ局の知り合いに「頭が良くて頑丈な若い奴を紹介して」と頼んだら大勢来た。世田谷の僕の自宅にパジャマ持参で集合させて合宿に入った。

まずは体力検査。僕と居候の車だん吉が夜中に1時間おきにたたき起こす。3、4日過ぎるとコメディアン志望の連中が脱落。結局、4人の放送作家志望が残った。

会社員あがりの大岩賞介、詩村博史、永井準、鈴木しゅんじが大学生。最初はスターは偉いと教え込んだ。見本は売れまくってる僕。「スターのラーメンはチャーシューだらけ」と言うと、4人は自分のチャーシューを泣く泣く僕の丼に移す。

そんなことを繰り返すうち、彼らは僕に向かって「スターがいれたコーヒーが飲みたいな」なんて言い出す。スターなんか普通の人だと気づけばいいのだ。

コントのつくり方や台本の書き方は一切教えず、テレビ局にも連れて行かない。「欽ちゃんの笑い」を覚えてもしょうがない。新しい笑いをつくってくれ、と思っていた。

(コメディアン)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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