萩本欽一(17)北島三郎さん

粋なはからいで命拾い
普段以上に発奮、柱へこます

日劇大劇場の西田佐知子ショーは1967年2月14日から6日間。二郎さんと下見に行って舞台に立った。「うわっ、でっかいなあ」。檜舞台の迫力に圧倒されて足がすくんだ。舞台は浅草松竹演芸場の2倍くらいある感じ。客席もすごく広くて、2階席が威圧するようにそびえ立っていた。

「欽ちゃん、やっぱりすごいなあ、日劇は」。肚が座っている二郎さんはうれしそうだった。僕も二郎さんに勇気をもらって言った。「舞台がでっかいから、浅草とおんなじ動きだとちまちましちゃうよね」「そうだね、思い切り動き回ろうよ」

浅草のコメディアンが全国区になれるかどうか、勝負の大一番。初日が開いた。満席だ。お客さんのお目当ては人気美人歌手の西田さんで、コント55号を知ってる人なんかいたかどうか。

「机」は僕たちの幸運の女神だ。学者の僕と書生の二郎さんが体を張って繰り広げる壮絶なコント。僕に蹴り倒された二郎さんがだだっ広い舞台をごろごろ転がって袖に消える。二郎さんに蹴りをかわされた僕が反対側の袖に。客席は初めのうちはあぜんとした雰囲気だったけれど、次第にわき始め、引っ込むときには大きな拍手をもらった。でも楽屋に戻るとお目玉が待っていた。「舞台袖の柱に傷を付けないでくれよ」と劇場の人がかんかんだ。

大劇場の袖には大きな木の柱がある。僕も二郎さんも袖に吹っ飛んでいって、柱に体ごとぶつかるから、木が少しへこみ、傷ができた。ふたりして「ごめんなさい」と頭を下げたが、コントにブレーキはかからない。僕も二郎さんも柱にぶつかり続けた。

3日目か4日目に全国紙に短い批評が出た。「コント55号が光っている」と書いてあった。その翌日、「渥美(清)ちゃんが袖で見てたよ」と知らされた。渥美さんはフランス座の大先輩で映画やテレビで活躍していたけど、面識はない。話題の芸人の舞台をお忍びで見に来ると言われていて、僕は新聞記事の10倍くらいうれしかった。

西田佐知子ショーは終わった。怒られたこともあって「もう依頼は来ない」と思っていた。ところが、来た。5月の北島三郎ショーに呼ばれた。

でも幕開け直前、僕が問題を起こしてしまった。賭けマージャンの嫌疑で警視庁に事情聴取され、疑いは晴れたものの、日劇は出演させるかどうか迷っていた。

初日を数日後に控えて、僕と二郎さんは日劇の判断を待って楽屋に元気なく控えていた。そこへ突然、北島さんが入ってきた。僕たちは立ち上がって気を付けをした。北島さんはちゃめっ気たっぷりに笑いながら、右手の人さし指で僕を指した。子どものいたずらを見つけた優しいお兄さんみたいだった。

北島さんは無言のまま去ったけれど、それは「出演しろよ」のサインだったようで、僕たちの出演は許された。

コントはまたまた「机」。僕と二郎さんは意気に感じて大熱演して袖の柱をさらにへこませた。

北島さんの粋な配慮のおかげで危ういところを救われて、7月の「夏のおどり」に呼ばれ、年末にかけてザ・ピーナッツ、三沢あけみさんなどのショーに相次いで出演。あこがれの舞台の常連になった。

(コメディアン)

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