萩本欽一(15)二郎さんの電話

コント55号結成し勝負
下積みの鬱憤舞台で晴らす

「欽ちゃん、電話だよ~」。浅草の豆腐屋さんの2階にある下宿に荷物を置いたとたんに階下のおばさんに呼ばれた。新作コント「机」を携えて3カ月の長逗留になった熱海から戻って数分後だった。1966年10月のことだ。

「欽ちゃん、僕だよ、坂上二郎」。受話器から流れてくる声に聞き覚えはない。「えっ?」「フランス座にいた安藤ロールです、忘れたの?」「あっ、ロールさん、久しぶりです」と愛想良く応えたものの、あんまり思い出したくない名前だった。

ロールさんのしつこいアドリブが頭によみがえってきた。彼は「懐かしいねえ、会いたいなあ」と言う。「家でマージャンしようよ」。何かあるなと思った。でも、暇だからすぐに出かけた。

二郎さんは埼玉の川口に住み、近所のキャバレーで司会をしていた。二郎さんの仲間も入れてマージャンの後、近況を語り合った。二郎さんも僕が去った後にフランス座をやめて、やっぱりテレビで名前を売ろうともくろんだけれど、その他大勢の仕事しかなくてキャバレーに出て糊口をしのいでいた。

「二郎さん、テレビ局でなんて呼ばれてた?」「坂上さん」「やっぱり。○○ちゃんって呼ばれないとだめなの。僕も萩本さんだった」。夕方になって二郎さんの仕事を見に行った。安っぽい店で汗をかいて司会を務めていた。「苦労してるなあ」と思った。

仕事がはねると、二郎さんはおずおずと切り出した。「欽ちゃん、一緒にコントやろうよ」。奥さんのおなかに子どもがいるという。僕は25歳、二郎さんは32歳。「一度だけならコンビを組もうか」と僕も心が動いた。「机」を舞台にかけて勝負したかった。

「机」はこんなコントだ。重厚なマントを着た学者が「正しい食生活」とかなんとかお手軽なテーマを尊大な態度で話している。でも演題の机の脚がアンバランスで、がくっとずっこける。

学者に大恩がある書生が茶々を入れながらノコギリで机の脚を切るのだけれど、ますますバランスが崩れて、とうとう横倒しにぶっ倒れる。学者は脚が短くなった机を抱えて「べ~んと、べんとう~」と駅弁売りに早変わりする。

笑いを取る決め手はふたりのやり取りと動き。二郎さんと夢中で話し合い、「浅草でやろうよ」と話がまとまった。何日かして浅草松竹演芸場の「幕前」に出してもらえることになった。公演前、まだ下りている幕の前でやるのだけれど、ちっとも受けない。

二郎さんが学者で僕が書生だった。二郎さんが「逆にしようか」と言う。僕もその方がいいと思っていた。

そうして臨んだ4日目、大道具さんが劇場の幹部に無断で幕を上げてくれた。広々とした舞台。気持ちが高ぶった。重々しいマント姿の僕が舞台に上がると、二郎さんの書生がのんきに出てきた。

「出(登場の仕方)が悪いんだよ!」と怒鳴りながら、僕は二郎さんの背中を思いっ切り跳び蹴りした。二郎さんはドタンと倒れてから舞台の袖まで盛大に転がっていった。どか~ん、と劇場を揺るがす笑いが来た。僕も二郎さんもみじめだった下積みの鬱憤を晴らすかのように舞台狭しと暴れ回った。コント55号はこうして誕生した。

(コメディアン)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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