萩本欽一(12)お姉さんの餞別

地方巡業で度胸付ける
ネックレス寝る前握りしめ

僕の師匠役だった池信一さんがテレビに行ってしまった。舞台ではぼけ役の達人。僕を鍛え、守ってくれた恩人だった。テレビでは味のある脇役で活躍した。年配の人は大川橋蔵さんの「銭形平次」の岡っ引き役を覚えているかもしれない。

池さんのあとに僕の師匠役になったのは東八郎さん。浅草フランス座生え抜きのコメディアンで、ぼけもつっこみも自在にこなすオールラウンドプレーヤー。芸には厳しいけれど、あったかい人だ。

東さんに「欽坊、ドサ回り(地方巡業)に行ってこいよ」と言われた。東洋劇場に来て2年。踊り子さんを3、4人連れてコメディアンは僕ひとり。何とか一人前と認められて武者修行を許された。

「坊や、送別会なしだってね。みんな冷たいねえ」と声をかけてくれたのが時折、話しかけてくれる踊り子のお姉さんだった。

コメディアンには踊り子さんは雲の上の人。第一、身分が違う。劇場にとっては彼女たちが財産なのだ。ギャラだって何倍も多い。コメディアンの方から口をきくのはご法度。彼女はトップダンサーのひとり。話しかけられると、いつもコチコチになった。

「壮行会やってあげる。友達も誘いなさいよ」と言われて、仲間をひとり連れて出かけた。お姉さんも後輩と一緒で4人でごちそうを食べた。別れ際にお姉さんが「お金に困ったら、これ売りなさいよ」と言いながら、ネックレスをぴっと外すと僕にぽんと投げて歩き去った。

巡業は静岡から始まって、愛知、岐阜などを回って、小さな町の劇場で興行する。お客さんのお目当ては踊り子さん。僕が舞台に出ると「男は引っ込め!」「金返せ!」と罵声が飛び交い、ビール瓶やミカンや食べかけのまんじゅうなんかが飛んでくる。

20歳の僕の格好は映画の寅さんみたいなダボシャツに腹巻き、雪駄履きで無精ヒゲ。浅草の露店で100円で買ったペンダントをして、ビール瓶をかいくぐって声を張り上げる。

「田舎の客は貧乏だねえ、浅草なら中身が入ったビール瓶が飛んでくるけどな」。笑いは来ない。だけど煎餅の袋が1枚飛んできた。素早く拾うと「ドロボー」の声。「母ちゃんの土産」って言うと、今度は干しイモが飛んできて、やっと笑いが起きる。

野次を退治するコツが分かってきた。最前列に陣取る親分さんや怖いお兄さんを「よいしょ」する。野次が収まらないと、彼らが「おい、みんな、兄ちゃんの話聞いてやれや」とドスの利いた声で助けてくれる。

安宿に戻ると、世話になったお兄さんたちが「おねえちゃん貸してくれよ」とやって来る。心臓はばくばくしてるけど、「兄さん、きょうは勘弁してくれよ」とべらんめいな調子で断る。「踊り子さんはみんな箱入り娘なんだぜ、頼むよ兄さん」

しつこい相手には殺し文句がある。「浅草に来たら寄ってくれ。歓待するぜ」。「じゃあ寄らしてもらうよ」と渋々引き揚げる。浅草に戻ってから、ほんとに来たらどうしようとドキドキしたけれど、誰も来なかった。

へとへとになって寝る前に、お守りにしているお姉さんのネックレスをぎゅっと握る。乾いた心がじんわり温まった。

(コメディアン)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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