萩本欽一(5)中学時代

担任のおかげで明るく
母の土下座、金持ちになる決意

御徒町中学の杉田静枝先生は若い体育の先生で僕のクラスの担任。生徒たちに人気があった。髪を長く伸ばしていて、そのころ流行していた西部劇映画にちなんで、付いたあだ名がアパッチ。

朝のホームルームで杉田先生が教室に来る前、黒板に白墨であだ名を書いて、先生が入ってくる直前に消す遊びがクラスではやっていた。アパッチのほかにもいろんな面白いあだ名があって、「あだ名書きゲーム」は愉快でスリルがある遊びだった。

内気な僕はいつも見物するだけ。でも、やらないと仲間外れにされる心配がある。ある日、初めて黒板に大きくあだ名を書いた。何と書いたか忘れたけれど、教室に小さな笑いが起きた。ところが、先生が来る間際になって体が固まって消せなかった。

「誰なの、これ」。僕は恐る恐る手を挙げた。怒られると覚悟した。でも先生は「萩本君、男の子はいたずらするくらい元気じゃないとだめよ」と優しく言ってくれた。すごくうれしくて、やる気がわいてきた。「よし、杉田先生の前ではがんばって手を挙げるぞ」と心に誓った。

次の日のホームルームで先生が「何か意見がある人?」と言うので「はい!」と勢いよく手を挙げた。ちょっと気分が良かった。国語や社会の授業でも調子に乗って手を挙げるようになったのはいいが、答えが分からず、指されると「え~、分かりません」。どっと笑いが起きる。

それが何だかうれしくて何度もやって、そのたびに受ける。そのうちに「笑われる」から「笑わせる」に進化していった。杉田先生のおかげで僕はだんだん明るくなった。

カメラ事業の失敗で大きな借金を抱えたおやじは、窮地を脱するためいろんな手を打った。でも萩本家の暮らしはますます貧しくなった。とにかく食べるのがやっと。おやじを手伝う長兄と大学を出て商社に勤めた次兄が白米を食べ、ほかの家族は麦飯だ。僕が中学2年のとき、稲荷町の長屋を売り払い、文京区丸山町の借家に移った。

それまでは家で借金の取り立てに遭遇したことはなかったが、ある日、学校から帰ると玄関先で土下座したおふくろが「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っている。怖そうな男が怒鳴っていた。おふくろがかわいそうで涙が出てきた。「お金持ちになるぞ。でっかい家を建てて母さんを喜ばせるんだ」と決意した。

「どうすればいいのか」。思いついたのは医者と弁護士。でも大学を出ないとだめ。僕は中学を出て働くつもりでいた。映画スターなら若くてもお金がいっぱいもらえる。これは鏡で自分の顔をじっくり見てあきらめた。

同じ映画でも面白いことをやって笑わせる人たちがいいなと思いついた。そのころ、時代劇やなんかで堺駿二さんや伴淳三郎さん、花菱アチャコさんたちが活躍していた。

「誰かの弟子にしてもらおう」。そう考えて、おやじに相談すると、遠い親戚にテレビのディレクターがいるという。お金のことでは全然あてにならないけれど、こういうときには頼りになる。

行ってみると、「映画の人は弟子は取らないぞ。落語家はどうだい。紹介するよ」と言う。「落語家かぁ」。お金持ちになれるかなあ。

(コメディアン)

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