萩本欽一(1)はじめに

コメディアン一筋55年
恩人だらけの世の中に感謝

「あらぁ~、欽ちゃん、久しぶり」。道で出会った70歳くらいの女性に手を握られた。知り合いでもなんでもない。「このごろ、あんまりテレビに出ないけど、元気にしてる?」「僕、とっても元気だよ」。こちらも長い長い付き合いみたいに答える。

老若男女いろんな人が声をかけてくれるけれど、誰からも有名人に会った高ぶりや緊張を感じないのがうれしい。

「あの~、仮装大賞のおじさんでしょ?」と制服姿のかわいらしい女子中学生ふたり組に質問された。「そうだよ」とうなずくと、「そうだよね。じゃあ、バイバイ」。握手もサインも求めずに、ふたりは歩き去った。

「うわっ、欽ちゃんだ!僕ね、中学生のころ『欽ドン』に毎週はがき出してました」。僕を見つけて興奮するのは、こういう元少年。今では高そうな背広を着て、髪に白いものが混じり始めた中年のおじさんだ。

そういう僕も老人の仲間に入った。73歳。1960年、18歳のときに浅草のストリップ劇場でコメディアン修業を始めて来年で55年になる。55といえば今は亡き坂上二郎さんとコント55号を結成したのが66年。あと2年で半世紀になる。ほんとに早いよなあ。

今も現役だ。やりたいことがあるし、夢だってある。体の動きに昔みたいな躍動感はなくなったけれど、まだまだ動ける。何よりとても健康だ。

ビジネス界の第一線で活躍する人たちが毎日熱心に読んでいる新聞に、ずっと笑いを追求してきたコメディアンの僕が登場していいのかな、と今も思っている。それも1カ月も続く看板の連載だ。この歳になっても「あがり症」が直らない僕は少し緊張している。

でも本音を言うと誇らしい。喜劇から出発して偉い俳優さんや立派な女優さんになった方々とか落語家さんは書いているけれど、コメディアンがこの連載に出るのは初めてと聞いたから。お笑いに全力投球する仲間たちの励みになればいいな、と思っている。

数え切れないほどの挫折や失敗を繰り返しながら、めげずに一生懸命になって人々に笑いを届けてきた僕の半生を読んでください。

振り返ると、僕は「ダメな子」だった。「できる子」と同じ土俵で競争しても勝ち目はない。だから僕の信条は「2歩下がって」。下がった場所で自分なりに人のやらない努力をして、必死でがんばる。やがて先を走ってる「できる奴」に追いつき、追い越すことだってできる。

大スターになったわけでもないし、億万長者にもなれなかった。だけど、おかげで夢を追いかけ続けることができた。運を呼び込むこともできた。ずぅ~と現役で仕事ができているのも、2歩下がったからじゃないかな。

そうは言っても、僕はあんまり謙虚な人間ではない。そんな僕をしかりつけ、励まし、たしなめてくれた人たちが大勢いる。この連載を引き受けて改めて気が付いたけれど、世の中恩人だらけだ。

巡り合ったときは嫌な奴だったのに、いつの間にか大恩人に化けた人もいる。代表が二郎さん。最初から恩人だったのが僕の師匠の東八郎さん。二郎さん、東さん、天国で読んでね。

(コメディアン)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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