井深大(17)おわりに

ソニーはわたしの夢
理科教育資金制度に自負

最後にソニーの歴史の落ちこぼれをもう少し拾い集めてみよう。昭和29年、東北大学金属材料研究所と連絡上のこともあり、仙台付近の多賀城にテープとフェライト(磁性鉄心)の工場を新設した。以来年々増設して材料関係の有力工場に育ってきた。

一方本社工場もだんだん手狭になってきたので厚木に約13万平方メートル(約4万坪)の土地を求めてトランジスター関係の生産工場を移すことにした。昭和35年の秋完成し、若い女子従業員の手で毎月150万個のトランジスターを生産している。また昭和36年5月には横浜市保土ヶ谷の新道側の山の上にソニー研究所ができあがった。鳩山所長以下80名、おもに半導体の基礎問題と取っ組んでもらうのが目的である。時間はかかるかもしれないが楽しみな存在である。

次はなくなった人たちのことであるが、会社のいちばん苦しい時にお金の苦労をしたままで病没した長谷川監査役、ニューヨークで、楽しみにしていた本社を見ることなく急死した山田志道嘱託、当社の赤ん坊時代から少年時代まで手をとって育ててもらった今はなき万代前会長と前田前社長等々、走馬灯のように思い出されてくる。

年々ソニーも名物のようになって、見学に来られる内外の人数も毎月3000人から5000人になってきている。皇太子、同妃殿下は別として、ロバート・ケネディ夫妻、ダニー・ケイ、ハロルド・ロイドらは印象深いお客様だった。

赤旗のうずまくストライキのさなかに秩父宮妃殿下はじめ池田首相、水田、小坂、荒木、椎名、石田各閣僚以下300名のお客様を迎えなければならなかった36年5月の当社創立時周年祝賀会は、私にとって忘れることのできない日であった。

また日本としても初めての経験であり、当社の事務部門にとっても前代未聞の大仕事だったADR米国公開も、36年の大事件だったが、これは盛田副社長の全くの一人舞台で詳しくは彼がこの履歴書を書くまで時をかしていただきたい。

直接の仕事以外でソニーが世の中にいちばんお役に立っていると自負しているのは「小中学校理科教育振興資金の制度」だろう。これは小中学校から自校の理科教育の実際と将来の計画を論文にしてもらって、これを東大の茅先生、文部省の内藤先生、元科学技術庁の篠原先生方に実際審査していただき、その研究資金として100万円、50万円(各数校)、10万円(約却校)を寄贈するものである。昭和34年に始まってすでに7回、総額4000万円以上にのぼっている。37年末にも福井県の武生小学校を訪れ、100万円のお金が先生方の努力によっていかに活きた働きをするものかということをまのあたりに見てきた。

いままで受賞校の近所から必ず次の受賞校が現われ、代表的な受賞校には年間数千名の見学者があることなどで特に地方の小中学校の理科教育の振興には予期以上の効果があがっているようである。日本をほんとうに科学の国にするためには大学の理工科の定員を増やすことばかりではなく子供の時から科学にひたらせることもより大切なことだと信じている。

私の履歴書がすっかり「ソニーの履歴書」になってしまったようだが私からソニーを引き去ったら何も残らない。また残らなくても少しも悔いないどころかたいへん満足に思っている。私のやりたいこと、私の夢を実現させる場がソニーだったのだ。また幸いそれを実現させることが今日までソニーにとってはプラスになってきた。夢とわがままは当分続くことだろう。

私は盛田君以下のこのうえない良いメンバーに囲まれて生きてきた。この人たちは無謀にも近い私の夢を実現させて楽しませてくれる。こんな幸福は世の中にそんなにあることではないと信じている。
(昭和46年よりソニー会長。51年より同名誉会長)

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