フィリップ・コトラー(17)企業の社会的責任

物質・自己主義を戒め
寄付や奉仕は恩恵の見返り

「成長の限界」という本をご存じだろうか。民間シンクタンク「ローマクラブ」のコンピューターを駆使した未来予想で、野放図な経済活動と人口増加が続けば資源が枯渇し、100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした。出版の翌年(1973年)に第4次中東戦争が勃発して石油価格が暴騰、日本でもベストセラーになった。

これを「先入観と不正確な統計によるもので、詭弁だ」と反論したのが私の友人で経済学者のジュリアン・サイモンだった。ある資源が高騰すれば代替資源が開発され価格は抑えることができると主張した。実際はどうだったかと言えば、今のところサイモンに軍配が上がっている。

しかしこの本を読んで、「マーケティングに携わる人間は自らの活動が世界の資源など社会に及ぼす影響についてもっと責任感を持つべきだ」と強く思った。こうした考えを深く発展させるために企業が社会に対してどのような活動をすべきか、企業の社会的責任(CSR)の研究に取りかかることにした。

企業による寄付行為の是非について、かねてことさら強く反対していたのは私のシカゴ大学時代の恩師でノーベル経済学者のミルトン・フリードマンだった。

彼は「ルールの範囲内で自らの資源を活用し、利益拡大のための活動に従事することに尽きる。CSRに積極的な企業は、寄付行為をせずに研究開発など競争力強化に投資する企業に太刀打ちできなくなる」と主張した。保守的な企業からはフリードマンの考えは強く支持されていた。

私にはこの考えがなじめなかった。企業は道路、港湾設備などをはじめとするインフラを利用して収益を上げ、社会から多大な恩恵を受けている。その見返りとして企業はなんらかの形で社会に奉仕すべきだと思っていたからだ。

また、CSR活動は企業市民としての評価を高めるのに役立つのは間違いない。よい印象をもってもらえば顧客も増え、従業員の愛社精神の醸成にもつながる。利益中心と見られがちな企業の否定的なイメージも薄らぐ。

私と同じ考えを持つ研究者も多く登場した。ステークホルダー(利害関係者)という言葉を広めたエドワード・フリーマンが提唱した道義的責任の思想だ。「この国はあまりにも物質主義と自己中心主義に偏り過ぎた。企業には魂が必要だ」。これこそCSRの本質を突いていた。

企業の中からも賛同者が徐々に増え、今や大半の企業は慈善活動に寄付をしている。

研究のテーマは寄付行為がもたらす有形無形の効果について測定の可能性に移った。同僚のナンシー・リーと共同でIBM、マイクロソフト、マクドナルドなど主要企業25社にインタビューを行い、2005年に「社会的責任のマーケティング」を出版した。

各社は寄付を受け取る団体にとってどのように役立ったかを積極的に知ろうとしていた。また顧客などを通して企業自身にどれだけ恩恵をもたらしたかを把握するには難しいこともわかった。企業の社会的評価の測定には様々な要因が影響しているからだ。

つまるところ、「他人の役に立つというのはそれだけで行動を起こす立派な理由である。効果を金銭的に測る必要はない」ということだ。

日本には「情けは人の為ならず」という諺(ことわざ)がある。

(マーケティング学者)

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