フィリップ・コトラー(6)インド生活

労働者の実態を目に
「世間知らずだった」と痛感

マサチューセッツ工科大学(MIT)の博士課程修了時の審査委員会で、サミュエルソンが労働価値説に関する質問をしたのはなぜか。それは私が労働経済学に強い関心を持っていたからだ。

胸の奥には常に両親が属していた労働者階級への思いがあり、貧富の格差が解消されないことに怒りすら覚えていた。労働に正当な対価が支払われているのか疑問で、学問として向き合うことにする。労働組合が格差是正にどのような役割を果たせるのかも追究したかった。今の日本でも賃上げは議論が活発なように不易なテーマである。

恩師は労働経済学と産業経済学の世界的権威であったチャールズ・A・マイヤーズ教授。彼は途上国の労働者と労働組合の状況を研究するためにフォード財団から研究資金を受け取り、プロジェクトを立ちあげていた。

1955年春ごろ、マイヤーズ教授が「プロジェクトに加わり、夏から1年間、インドで研究する気はないか」と聞いてきた。海外に出かけたのは前年に欧州約20カ国を60日間かけて一人旅をしただけで、西欧しか知らない自分にとって東洋の世界を知る絶好のチャンス。ただ一つ引っかかることがあった。この年の1月30日にナンシーと結婚していたので彼女がどう思うか気がかりですぐ相談した。

彼女はまだ大学生で9月には3年生になるはずだった。だが彼女は「インドへの道」などのインドに関する小説をいくつも読んでおり、その地に行くことに大喜びした。杞憂に終わる。彼女は進級を1年遅らせる手続きを済ませ、私たちはインドへと旅立った。

ボストンからロンドン、パキスタンのカラチを経由してボンベイ(現ムンバイ)に降り立つ。子どもから大人まで大勢の物乞い、道を横切る牛、不思議な香りのする料理。はじめて目にするものばかり。

研究のテーマは「インドの工業労働者の賃上げと生産性の向上について」。このテーマはMITでの博士論文の一部になる予定で取り組んだ。仮説はこうだった。「賃金が高いインド企業ほど質の高い労働者を引き寄せることができるだろう」。賃金が高ければまともな食事ができ、必要があれば医者にもかかることができる。子供にも教育を受けさせ、消費活動が活発になる。最終的には中産階級が生まれると考えた。

しかし仮説はいとも簡単に打ち砕かれてしまう。労働者の多くは高い賃金を手にすると故郷に帰るか賭け事や飲酒で浪費していたのだ。一方、妻たちは毎週の給料日には夫が使ってしまう前に何とか給料を手にしようと必死だった。私はとんだ世間知らずだったのだ。

この後、研究の場所をカルカッタ(現コルカタ)に移す。中心部こそ重厚な英国式建造物が立ち並ぶが、それ以外はやはり圧倒的な貧困の世界が広がっていた。仮説の証明は失敗に終わったが私の研究に新たな視点が生まれた。

帰国は56年夏。体調を崩し一足早く帰国した妻も回復していて、ほっとした。インドに行く前に書きためていた博士論文をナンシーにタイプしてもらいMITの審査委員会に提出し、承認された。晴れて経済学博士号を得て9月卒業。労働経済学者として就職口を探し始めたが、しばらくして研究分野の変更を決意する出来事が起こる。

(マーケティング学者)

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