フィリップ・コトラー(2)家族

両親はウクライナ移民
シカゴ生まれ、学究肌の3兄弟

人によって好奇心やバイタリティーにこれほど大きな違いが生じるのはなぜか。遺伝的要素や両親の後ろ姿、兄弟から学ぶこともあれば、すばらしい人との出会い、社会的背景、チャンスを生かす能力が決めるのかもしれない。一人の人生は様々な要因の織りなす二つとない物語だ。

では私と家族の物語からお話ししよう。生まれたのは世界恐慌で世の中が大混乱していた1931年5月27日、場所は米イリノイ州の最大都市シカゴ。アル・カポネらギャングが暗躍していた時期だ。同じ月にニューヨークにエンパイア・ステート・ビルディングが完成した。母親のお腹の中でこうした社会の動静を感じ取っていたはずだ。

父モーリス・コトラー、母ベティ・ブバーはともに東ヨーロッパ、ウクライナからの移民だ。お金もほとんど持たず、英語も話すことができずにアメリカの地を踏んだという。2人はパーティーで出会い、自然と恋に落ち結婚して3人の子どもをもうけた。

私が長男で5歳下の弟がミルトン、10歳下が三男のニールだ。我々やんちゃ坊主は美しく、優しい母に夢中だった。三人三様のところもあるが共通点が一つある。そろって学究肌で広い世界について思いを巡らし、「世の中を良いものへと変えていきたい」と望んでいたことだ。

シカゴがそうさせたのかもしれない。というのも貧富の差が大きく治安は悪かった。子どもながらに社会に存在する不条理、矛盾があることがはっきりとわかった。

ミルトンは16歳でシカゴ大学に入るとすぐに左翼思想に染まった。卒業後はワシントンDCにある研究機関に勤めるようになる。彼の政治的立場は少しずつ変わり、いつしかすっかり保守派になった。こうした転向は日本の指導者層にもいるから不自然なことではないだろう。

彼はビジネスの嗅覚にもたけ、中国で財産がつくれると考えてコンサルティング会社を約10年前に設立。この小さな会社は欧米の大手を尻目に昨年、中国でナンバーワンのコンサルティング会社に選ばれた。

末弟ニールは別の道を選ぶ。ウィスコンシン大学で政治学を専攻し、シカゴ大で博士号を取得。米国の民主主義と合衆国草創期の歴史研究に情熱を注ぎ、優れた政府の在り方を考え抜いた。その後、NPO(非営利組織)の研究に目を向けるようになる。

2人の弟とはそれぞれ共著がある。ニールとは後に博物館経営のバイブルといわれる「ミュージアム・マーケティング」を、ミルトンとは最近「コトラー8つの成長戦略」を上梓することができた。

ニールは残念ながら5月に長年の持病がもとで亡くなった。悲しい出来事だった。彼の人生でもっとも脂ののった時期だったのに。

移民の両親からなぜ3人の学者が生まれたのか分からない。ともに小学校しか出ておらず米国ではクリーニング業で懸命に生計を立て、その後、魚屋を開いてささやかな暮らしを営んでいた。

シカゴでサッカー選手として鳴らした父は私たちをスポーツ選手にしたかったが誰も見向きもしなかった。

晩年、父が私たちにほほ笑みながらこう言ってくれた。「おまえたちが何をしたって、これ以上、自慢に思うことはなかっただろうよ」

(マーケティング学者)

About sayfox
Bubbles of river disappear rapidly.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。