短い野球人生飼い殺しは罪だ

「飼い殺し」という言葉がある。人に対して使うのはためらわれる言葉だが、そういうことが実際に起こってきたのがプロ野球だ。限られた人材、せっかくプロに入った才能を腐らせることなく、育てていくにはどうすればいいのだろう。

■大家を横浜から米国に送り出す

メジャーで活躍した大家友和という投手がいる。先ごろブルージェイズとマイナー契約したというニュースが流れたので、思い出した方も多いだろう。騒がれて米国に渡ったわけではないので目立たなかったが、メジャー通算51勝は野茂英雄、黒田博樹、松坂大輔に次ぐ4位。

この投手を横浜(現DeNA)から米国に送り出したときの監督が私だ。飼い殺しはいけない、という私の信条はあのときの体験からきている。

1997年2月1日のキャンプイン。横浜のバッテリーチーフコーチになった私はブルペンでとんでもない素材をみつけ、小躍りしそうになった。すべての球が低めに制球され、抜ける球がない。これは先発ローテーションに入るどころか3本柱の1本になる、と思った。それが入団4年目の大家だった。

抜群の仕上がり具合だった大家はシート打撃登板、紅白戦と実戦段階に入っても期待通りの投球をみせる。しかし、いよいよオープン戦が始まるという2月下旬になってあやしくなってきた。1、2軍の振り分けに入る大事な時期、あれだけ順調だった大家が、制球を乱し始めた。引っかけては低投、すっぽ抜けては高投の繰り返し。結局2軍行きとなった。

■周りにいびられ毎年開幕前に失速

大家に未練があった私はいろいろ周辺を取材した。2軍の打撃投手ら裏方さんたちに聞くと、どうも人間関係がうまくいっていないらしい。

周りにいびられ、コーチには「そろそろいつものアレが出てくるだろう」と、毎年開幕前に失速してしまうという嫌な“過去”をほじくり返されていた。この種の記憶は勝負の世界に生きる者にとって、一番呼び覚ましてはいけないものだ。それなのに、コーチがまた傷口を開けるようなことをするとは……。大家にとってシーズンイン前の失速はすっかりトラウマになっていた。

いっそ大家にはトラウマのもととなっている準備期間を与えず、いきなり4月1日からチームに合流させたらいいのでは、と私たちは半ば本気で話し合ったものだった。

このままではダメだと私は思った。日本の球団は何せ組織が小さい。トップチームの下に3A、2Aと、4つも5つもチームがぶら下がっているメジャーと違い、日本は基本的に2軍だけ。変わりばえのしないコーチ陣と年がら年中顔をつきあわせて、野球をする以前に人間関係で疲れ果てているようではどうしようもない。

■日本球団へトレードにはためらい

かといって日本の球団へのトレードに踏み切るのもためらわれた。対戦のないパ・リーグならまだしも、セ・リーグのライバル球団には出せない。先ごろ、たまたま当時巨人のフロントにいた山室寛之さんにお会いし「実はうちも大家に目をつけていたんだよ」と言われて、やはりと思ったものだった。2軍戦で大家をみて、どうしてこの選手が下にいるのだろう、と思っていたのだそうだ。それくらいすごい投手だったのだ。

私は球団に頼み、横浜と親密な関係にあったレッドソックスへの移籍を提案した。レッドソックス傘下のマイナーから頭角を現した大家のその先はご存じの通りで、エクスポズ(現ナショナルズ)などで勝ち星を重ねた。

大家を放出(私からすると解放)した横浜の決断はかなり異例といえるだろう。

■全くの新天地で一からのびのびと

大家は93年のドラフト3位だった。高い契約金を出して取った選手を簡単には出せないというのが球団側の理屈だが、もっといえばメンツの問題がある。

簡単に放出して、よそで活躍されたら面目まるつぶれ、という心理が球団フロントや首脳陣に働くのだ。「いったい選手のどこをみていたのか」と笑われるのが怖い。せこい話だが、球界に限らず、人間の集まりにはつまらないプライドやジェラシーに動かされている部分が必ずある。会社勤めの方ならわかるだろう。

日本は組織が小さいから、2軍でだめなら3軍でというわけにもいかない。そもそも試合数が少ないから、実戦で実力を証明する機会すら乏しく、身動きがとれなくなる。こうして「飼い殺し」の状態が生じる。

米国のマイナーでは飼い殺しの前にクビになる。これも厳しいが、解雇も一種のフリーエージェント(FA)だから、先行きの見えないまま塩漬け、というよりはいいかもしれない。

私が大家の米国行きを提案したのは全くの新天地なら、一からリセットできて、戦う気持ちがわいてくると思ったからだ。そうすればあの力なら通用すると確信していた。あれほどやるとは思わなかったが……。今では私など、おいそれと「おい大家」と気楽に声をかけられないような高いところに行ってしまった。

それにしてもうれしかった。決断してくれた当時の大堀隆球団社長に「今ごろ日本にいたら間違いなく埋もれたままでしたよね」と言うと、彼もうれしそうにうなずいていたものだった。

陰湿な人間関係が米国に全くないとはいえないが、少なくとも先入観のない状態からリスタートできたのがよかったのだろう。マイナーには何チームもあって選手、コーチの異動も激しいから、そりの合わない指導者とずっとにらめっこすることもなかったはずだ。

■埋もれた才能に道探してやる必要

横浜でだめだった投手がメジャーで活躍したと、のちに世間では騒がれた。「なぜあんな逸材を放出したのか」という非難まじりの声も聞こえてきた。しかし、私は彼のためになったのだからよかったと思っている。

大金を払って契約する以上、球団が簡単に選手を自由の身にしてやれないのは当然だし、選手としても何千万円、満額なら1億5000万円という契約金をもらうことの意味を知らないわけはない。

しかし、球団は誘うときだけ「いらっしゃい、いらっしゃい」で、入ったあとは知らない、でいいのだろうか。

せっかくプロに入ったものの、人間関係に縛られたり、環境になじめなかったりで、才能を埋もれさせているケースは少なくないはずだ。

「自由契約になるまで我慢しろ」と言ったって、そうなったときにはもう遅い。契約をタテに縛るばかりでなく、本人にとっていい道を探してやることも、時には必要ではないだろうか。

■一度しかない現役生活こそ大事に

日本の球団はなんだかんだ言っても面倒見がよく、選手としてダメだった場合でも球団職員とか打撃投手という形で、引退後の手当てもしている。

それは確かだが、私が言いたいのは一度しかない現役生活こそ、大事にしなくてはいけないということだ。「ダメだったけれど、やることはやり尽くした」と選手が思えるような環境を整えなくてはいけない。人生は短い。野球人生はもっと短い。周囲の思惑だけで囲い込んでいたら、あっという間に終わってしまうのだ。

(権藤博・野球評論家)