和田勇(22)阪神大震災

1軒1軒回り安否確認、
「災害に強い家を」心に刻む

1995年1月17日。この日は多くの人と同じように、私にとっても生涯忘れられない日になった。

ちょうどこの日は、大阪の本社で役員会が開かれる予定だった。私は名古屋の自宅で大阪行きの支度をしているとき、強烈な揺れを感じた。しかし詳しい状況はわからない。JR名古屋駅までは行ったが、新幹線も在来線も止まっていた。なんとか近鉄電車に乗り込んだ。大阪に着いたのは夕方だった。

本社では緊急対策に動き出していた。常務取締役で西部営業統括本部長だった私は、その場で対策本部長に任命された。とにかく現地の状況を確かめることが先決だ。ただ鉄道は全線ストップ。道路もあちこちで寸断され、交通規制もあり、車は使えない。

最初の指示は「ミニバイクを手配しろ。中古でもなんでもいい」。当時はまだそれほど普及していなかった携帯電話もできる限り用意させた。近隣の社員たちは自転車を持ち寄る。そして、お客様、社員と家族の安否確認だ。私は情報の混乱を防ぐため、指揮系統を一本化する。

被災地には積水ハウスが施工した住宅が約3万棟あった。建築中の建物も多い。1軒1軒確認することを指示するが、1人で1日に何軒も回れない。「それどころじゃない」との報告も入る。当然のことだ。緊急の人命救助、支援物資の運搬など、より優先すべき事態にも遭遇するのだ。

その対応にも全力を注ぐよう伝えるが、現地は大変だっただろう。自らも被災しながら「こんな非常時に……」と止める家族に後を託し、お客様宅を目指した社員もいた。

お客様相談窓口は、すでに17日、大阪北、神戸支店、阪神営業所に「災害復旧センター」を開設、カスタマーズセンターと連携しながら初動対応に乗り出していた。全国から「積水ハウス会」の方々や関連業者のみなさんが応援に駆けつけてくれ、強い連帯感に胸が熱くなる。

積水ハウスの住宅は2916棟が被害を受けたが、全壊、半壊はなかった。しかし、この大災害で6400人余りの尊い生命が失われた。25万棟近い家屋が全半壊の被害を受けた。住宅メーカーとして、大災害の際に何をすべきなのか。その後、私は自問自答し続けることになる。

被災されたお客様の住宅の補修、修復には責任を持って対応した。対策本部は「阪神大震災復興本部」と名称を変え、仮設住宅の建設など、復旧、復興作業に息の長い取り組みを続けた。私は何度も被災地に足を運んだ。

この大災害の経験から「住まいは家族の命と財産、安全・安心を守るシェルターである」という思いを強くした。「災害時に何をすべきか」を考えるのも大切だが、耐震性の向上など「災害に強い家をつくること」が私たちの使命なのだと心に刻んだ。被害を最小限に食い止めることがいちばんだ。

阪神大震災の経験は、2011年に発生した東日本大震災で活かされる。水、食料の備蓄や部材、機材の緊急配送。人的対応のマニュアル化も拡充していた。

実は95年1月17日の役員会の主要議題は、積水ハウスの木造住宅への本格参入の決議だった。災害に強い木の家をつくるということが、私の新たな仕事に加わった。

(積水ハウス会長兼CEO)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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