和田勇(9)営業に邁進

入社3年目、全国トップ
私を支えた言葉とコップ酒

さあ、積水ハウスの営業マンとして、販売の最前線に立つ時代の話に入ろう。その前に、この人への感謝の気持ちを、ぜひ書いておきたい。

名古屋のある協力工事店の社長、八神栄之助さん。当時、私の父親くらいの年齢だっただろう。私の失敗、苦労する姿を見ていて、熱く、厳しく、叱咤激励していただいた。その内容は一貫している。

「住宅を売るという仕事は魂を込めてお客様と接することが肝心だ。お客様の喜び、満足を第一に考えていると、必ず報われる」。檄文ともいえるような思いのこもった手紙を何通も頂戴した。駆け出しだった私は、この八神さんの言葉に救われ、その言葉を信じ、営業活動に邁進。

そして、入社3年目の1967年。全国1位の販売成績を挙げた。9月から12月の4カ月間で40棟の成約をいただいた。ほぼ3日に1棟。毎日成約、という感覚だった。日に日に気持ちが引き締まる。40棟ということは、40人の施主様だけでなく、40家族のお客様とお付き合いさせていただくことになる。それが同時進行する。

もう失敗は許されない。当時、会社は日曜が休みだった。しかし、私に休んでいる余裕などない。休日出勤という意識もない。おそらく、その後の数年は、正月三が日以外、ほとんど休んでいなかったように記憶している。

仕事が楽しくて、面白くて仕方がなかった。疲れるけれど、つらいとは思わない。毎日、お客様のお宅を訪問し、心を込めて対応させていただいた。仕事の支えになった八神さんの言葉に嘘はなかった。魂を込めてお客様と接していると、お客様がお客様を連れてきてくださる。いわゆる紹介営業だ。努力は報われる。その結果が全国1位の成績にもつながった。

休日出勤はもちろん、平日も寝ている時間以外は、ほとんどが仕事という日々だった。唯一の息抜きは寮に帰る前に、途中下車して、たまに立ち寄る安い居酒屋での晩酌。縄のれんをくぐり、カウンターに独り座り、夕食代わりの惣菜を頼む。

遅くなると寮の賄い料理にはありつけない。当時は、営業手当というものがなかった。いつも寂しい財布と相談しながら、コップ酒を2杯、3杯と重ね、明日の仕事に備えた。

新築されたお客様のお住まいを訪ねることも忘れなかった。住宅営業は家を売って終わりという仕事ではない。その後の住み心地をお聞きしたり、不具合やトラブルに対応したりすることも大切な役割だと考えていた。

お客様にも歓迎され、これが新築の紹介営業や将来のリフォームの受注につながることも多かった。こうしたお客様訪問は、積水ハウスが現在でも大切にしている活動のひとつだ。このときの経験が、後にアフターサービスの窓口となる「カスタマーズセンター」誕生につながる。

68年の暮れ、営業手当の代わりに、ご褒美をもらった。本社が広告を出稿していた新聞社が東南アジアに招待してくれるという。社内の枠は3名。その1人に選ばれた。

まだ珍しい海外旅行。仕事に明け暮れていた毎日からしばし解放され、見聞を広め、英気を養った。

(積水ハウス会長兼CEO)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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