和田勇(7)初めての挫折

肩故障、甲子園の夢断念
治らず退部決意、受験勉強へ

私と藤戸君は和歌山県立粉河高校に転校し、早速、野球部に入部する。野球部はそれほど強くなかったが、旧制中学時代、プロ野球選手も輩出している。1901年創立の伝統校だ。家から近くなった分、野球に打ち込む時間が増える。「力を合わせて、ここで甲子園を目指そう!」と2人で誓い合った。

肩に自信があった私は、レフト兼ピッチャーだ。藤戸君を含め、チームメートと気持ちをひとつに、練習に打ち込んだ。伊都高校の連中にも、ぶざまな姿は見せられない。人一倍、汗と土にまみれて白球を追い続ける。まさに青春ドラマの日々だ。しかし、甲子園への道のりは遠い。

そんな時、肩に違和感を感じ始めた。やがて痛み出した。医者に診せてもはっきりした原因は分からないが、嫌な予感がした。「絶対に勝つ!」という気負いから、無理な練習を重ねていたのだ。

通院を続けても、痛みはひどくなる一方。もう練習どころではなくなる。そのうちに肩の故障によるストレスからか、胃まで痛み出す。こちらの方も次第に悪化してきた。弱り目に祟り目。肩と胃の痛みで、夜もなかなか眠れない。「このまま野球ができなくなるんじゃないか?」。そう考えると、ますます気持ちが滅入ってきた。

それでも、授業が終わると、ユニホームに着替えて、まっ先にグラウンドに立った。仲間たちの練習を眺めるしかないが、声の大きさだけは負けなかった。しかし、一向に回復の兆しはない。このまま様子を見るか。いっそのこと、マネジャー役に徹するか。悩める日が続いた。

そうこうしているうちに、夏の県大会が近づいてきた。最後の甲子園に向け、チームメートの目の色が変わってきたのが分かり、彼らと大きな溝を感じる。中途半端な形でチームに残るのは迷惑じゃないか。今の立場が自分らしくない気もしてきた。

さすがに迷った。伊都高校に続き2度目の退部になる。でも、「野球ができないなら仕方ない」。そう自分に言い聞かせ、退部届を出した。

覚悟はしていたが、予想以上に落ち込んだ。伊都高校を辞めた時は、「次」があった。今は先が見えない。人生で初めての挫折だ。甲子園という夢は消えた。目標を失い、虚脱感が襲ってきた。

それまでは、野球のことで頭がいっぱいだった。大学進学のことなど真剣に考えていなかった。学業成績も芳しくない。進学を目指す同級生たちはとっくに受験の準備に入っている。私にはもう野球はない。「受験勉強で勝とう!」。新たな目標を決めた。若さの特権か、生まれ持っての性分か、決断したら、もう振り返ることはなかった。

学業の遅れを取り戻さなければいけない。特に希望する学部もなかった。そこで、受験科目の多い理系は捨て、文系に絞り、授業に集中した。夜も遅くまで復習、予習。そして、参考書と向き合う。頑張ったが、出遅れはどうしようもなかった。希望大学には受からなかった。

結局、1年浪人して関西学院大学法学部に合格した。第1志望ではなかったが、自分なりに納得できる結果だったので、入学を決めた。ここから、野球少年の日々とは全く異なる大学生活がスタートする。

(積水ハウス会長兼CEO)

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