和田勇(1)所長に挨拶

配属初日「君は誰だ」
住宅を売る仕事一筋48年

「おはようございます」。着慣れない背広姿で精いっぱい大きな声で挨拶する。思いのほか緊張し、直立不動のまま突っ立っている私を見て、営業所長らしきその人は怪訝な顔をした。1965年4月8日の朝のことだ。

積水ハウスに入社し、大阪の本社で1週間の研修を終え、名古屋配属を命じられた私は、この朝、国鉄名古屋駅に降り立つ。営業所は駅前の大名古屋ビルヂングにあった。

「君は誰だ?」。べらんめえ口調で問われる。「新入社員の和田勇です」と答えると、「えっ」と言ったまま絶句した。「聞いてないぞ」

営業所長は大橋弘さん。後に会長になられるが、当時は30代半ば。突然の新入社員の登場に面食らった様子で「そこらに座ってろ」と言い置き、本社に電話で確認するためだろう、足早に自分の席に戻った。希望と不安が入り交じる配属初日の出来事。いきなり出鼻をくじかれた。

大変な就職難だった。前年の東京オリンピック開催後、好景気が一転。新卒採用を控える企業も多かった。幸い私は、知人の勧めで初めて聞く「積水ハウス」の試験を受けた。合格の知らせを聞いた時は「運よく拾ってもらえた」というのが本音だった。

ただ、住宅を売る仕事には興味があった。住宅産業は、新しい業界。期待に胸がふくらんだ。しかし、プレハブ住宅については何も知らない。それも無理はない。積水ハウスは積水化学工業ハウス事業部を母体に誕生して5年目。プレハブ住宅の存在も一般には認知されていなかった。

会社の体制にも行き届いていない点が多々あった。新入社員配属の連絡が担当所長に届いていない状況を見ても、それはうかがえる。大学卒の新入社員を採り始めて3年目。同期は17人、うち営業は私を含めて10人。社員番号は確か209番だった。

当初、大阪配属の予定だったが名古屋に行く同期に大阪を離れられない事情ができ、急きょ、私が指名された。名古屋は縁もゆかりもない。

しかも同期のほとんどが市場の大きな東京、大阪に配属されている。正直、心細かった。しかしこの名古屋の地が、後の私の仕事の血となり肉となる多くの経験をさせてくれることになる。

本社で確認は取れたが、営業所にとって降ってわいた出来事で、受け入れ準備などない。十数人いる先輩社員は、それぞれに忙しそうで、次々に営業に出かけて行く。残された私はぼんやりと机に向かい、不安な1日を過ごした。

夕方、先輩に連れられ社員寮に入った。お世辞にも立派とは言えない木造モルタル2階建て。部屋は個室だったが、息が詰まるような3畳間。風呂とトイレは共同だ。

ひと息ついて、娯楽室だという部屋でひとり、テレビを見ていると「おい若いの、呑め」と声をかけられた。振り向くと一升瓶を抱えた男が立っている。よく見ると瓶の中で大きな蛇がとぐろを巻いている。自家製のマムシ酒だという。鳥肌が立ち、思わずのけぞる。朝の一件もあって「こんな会社、辞めてやる!」。心の中で叫んでいた。

あの日から48年余りの歳月が流れた。私は辞めずに勤め続けた。家を売る醍醐味に取りつかれ、この道一筋にやってきた。そんな私の半生を書いていきたい。

(積水ハウス会長兼CEO)

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