利根川進(21)記者からの吉報

ノーベル賞に半信半疑
単独受賞、審査に高い信頼

免疫の抗体多様性の謎を解いた私たちの研究は、1980年代に入り相次いで、様々な機関や団体の表彰の対象になりました。

生物分野の基礎研究を対象にしているコロンビア大学の「ホロビッツ賞」を82年に受賞しました。

植物細胞の中で遺伝子が動く「トランスポゾン」という現象をトウモロコシで見つけて、翌年にノーベル賞を受賞することになるバーバラ・マクリントック博士との共同受賞でした。ヒトで遺伝子が動く現象は免疫でしか見られませんが、その共通点を対象にした面白い組み合わせの受賞でした。

83年にはカナダのガードナー国際賞、86年にドイツのロベルト・コッホ賞、87年に米国のラスカー基礎医学賞と、生物学・医学分野の著名な受賞が続きました。

日本でも83年の文化功労者に続いて、84年に文化勲章を頂きました。この時は、当時の在ボストン日本総領事であった谷口禎一さんが公邸で、お祝いのパーティーを開いてくださり、ボストン交響楽団の音楽監督をされていた指揮者の小澤征爾さんも出席。彼のピアノ演奏で「青い目の人形」をみなで歌って楽しんだのを思い出します。

その頃、そろそろ免疫以外の研究をしたい気持ちが強くなってきました。免疫分野にはまだたくさんの研究テーマが残っていますが、これから先は医学分野の人たちがやる研究になると感じていました。私は何か大きなミステリーがないと興味を抱いて研究に打ち込むことができない性格で、次は何をしようかなと、頭の隅で考えていました。

そんな日々を送り、87年10月12日を迎えます。

早朝ボストンの自宅で、電話のベルで起こされました。以前から面識があった、東京の共同通信の記者、田村和子さんでした。「スウェーデンのカロリンスカ研究所が、今年のノーベル生理学医学賞を利根川進教授に贈ると発表しました」と。

寝起きで半信半疑でしたが、私が最初に口にした言葉は「共同受賞者は誰ですか」。

すると電話の相手が男性の声に変わり「他の研究者の名前は出ていません。単独受賞のようです」との答えでした。

どうしてそんな質問をしたのか――。これには理由があります。

同じ87年のラスカー基礎医学賞は、私とカリフォルニア工科大学のリーロイ・フッド教授、ハーバード大学のフィリップ・リーダー教授の3人に贈られました。フッド、リーダー両教授とも抗体多様性の謎を解く研究で、私と正反対の「生殖細胞系列説」に立っていました。

ところが、我々が次々に発表するデータを見て形勢が悪いと判断したのか、途中から主張を百八十度転換したばかりでなく、いかにも自分たちが「体細胞変異説」の証明者であるがごときキャンペーンを展開していました。

ラスカー賞は米国医学界で大変伝統ある賞です。受賞者を決めるラスカー財団は、米国のこの分野の重鎮といえる研究者たちを無視できなかったのでしょう。

その点、ノーベル賞委員会とカロリンスカ研究所は、研究の成果のみに的を絞って私を単独で選んでくれたようです。ノーベル賞が、他のもろもろの賞とはかけ離れた権威を維持し、広く尊敬の対象になっていることの理由を、身をもって感じた一瞬でした。

(分子生物学者)

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